あしかが‐よしあき【足利義昭】
足利義昭
足利義昭(あしかが よしあき) 1537~1597
◇父:足利義晴 養父:近衛稙家 子:一色義喬、足利義尋、永山久兵衛義在
将軍家足利氏一族。幼少の頃、近衛家の猶子となって大和・興福寺一乗院へ入る。1565年松永久秀らに実兄の将軍義輝を殺害され、義昭自身も幽閉されるが、細川藤孝らの手引きで近江・和田惟政の下に逃れ、さらに越前・朝倉義景を頼る。1568年尾張・織田信長に担がれ上洛し、室町幕府15代将軍に就くが、傀儡に過ぎず、信長と不仲になる。御内書を濫発して反信長勢力の挙兵を再三行うが、1573年には信長に京都を逐われ、後に安芸・毛利氏に身を寄せてからも、反信長勢力の決起を謀り続けた。豊臣秀吉による天下統一後は、山城・槇島城に1万石を得た。
足利義昭
足利義昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 00:33 UTC 版)
信長打倒に燃える将軍。虚弱で人望もないが、智謀だけは一流と自分では信じている。
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足利義昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:25 UTC 版)
作中では、謀略家だが人の上に立つ器量の無い人物として描かれる。
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足利義昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:07 UTC 版)
「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「足利義昭」の解説
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足利義昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:06 UTC 版)
室町幕府15代将軍。信長を頼って上洛し将軍となるが、次第に裏で信長打倒を目論むようになる。各地の大名に檄文を飛ばし信長包囲網を形成、遂には自らも信長に反旗を翻すが、自身の予想に反して信長は次々と危機を乗り越えてしまい、逆に義昭自身が京を追放されてしまう。その後は毛利家の元に身を寄せるが、懲りずに大名を焚きつけている。将軍としての器量はないが、日頃から武芸鍛錬に励んでおり武勇には優れていた。
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足利義昭
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足利義昭(声:飛田展男)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 23:13 UTC 版)
「決戦III」の記事における「足利義昭(声:飛田展男)」の解説
室町幕府最後の将軍。乗りが軽く、愚昧な印象を受けるが、幕府再興の夢にかける執念は凄まじい。信長は彼を奉じて上洛するが、将軍の権威を利用する信長を快く思わなくなり、敵対し幕府軍を率いて挙兵するが、逆に京から追放される。だが、中国の毛利や四国の長宗我部、九州の島津、さらにイスパニアのペドロの力を借りて、あくまでも信長に抵抗し続ける。
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足利義昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
室町幕府第15代将軍。小柄でひょろひょろの痩躯。京を追われ、朝倉家の庇護を受けているが、いっこうに動かない義景に困惑している。家臣の細川藤孝の「教養自慢」にも振り回されている。後に信長を頼って上洛し、念願の将軍となるが、五ヶ条の朱印状を提出されたことなどから信長の真意に気付き、決別を決意する。
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足利義昭(あしかが よしあき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 16:32 UTC 版)
「セレベスト織田信長」の記事における「足利義昭(あしかが よしあき)」の解説
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足利義昭(あしかが よしあき)
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「センゴク」の記事における「足利義昭(あしかが よしあき)」の解説
各国を流浪し、後に織田信長を頼って上洛、室町幕府十五代将軍となる。当初は織田家と行動を共にしていたが、金ヶ崎の戦い以降、次第に裏で織田家排斥を目論むようになる。以後も織田家とともに行軍しているが、遂には信長に反旗を翻し、京都を追放された。
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足利義昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:07 UTC 版)
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足利義昭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 16:10 UTC 版)
十三代将軍義輝の弟。幼少の頃に出家し、「覚慶」の名で奈良の一乗院の門跡として過ごしていた。やがて松永久秀によって義輝が暗殺されたことにより軟禁されていたが、身の危険を案じた光秀が細川藤孝とともに救出し、その後光秀の奔走により信長の支援を受けて十五代将軍の座に就く。将軍就任当初は信長に恩を感じていたが、自身が飾り物の将軍として扱われていることに気づくや、信長の排除を画策し始める。
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