飯盛山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/02 08:23 UTC 版)
飯盛山城(いいもりやまじょう)は、河内国讃良郡[1]飯盛山(大阪府大東市及び四條畷市)にあった日本の城。別名「飯盛城」[2]。標高315.9mの飯盛山に築かれた日本の城(山城)である。
- ^ 明治に茨田・交野・讃良の三郡が統合され北河内郡となる。
- ^ 『日本城郭大系』では「飯盛山城」、『大東市史』や大東市のサイトでは「飯盛城」と表記される。
- ^ 令和3年10月11日文部科学省告示第164号。
- ^ a b c d “国史跡 飯盛城跡について”. 四條畷市. 2022年11月29日閲覧。
- ^ 藤田精一『楠氏研究』(積善館、1938年)
- ^ 初代の銅像(1938(昭和13)年建立)は太平洋戦争中の金属供出の為一時撤去し、現在の2代目は1972(昭和47)年に石像で建立。
- ^ 飯盛城で石垣整備 信長に先行か[リンク切れ]
- ^ 三好長慶、信長より早く石垣導入か 飯盛城で大量に発見
- ^ 飯盛城跡 信長に先んじて広範囲に石垣を整備 大阪・大東市教委
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