中央曲輪群
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中央曲輪群の最高所は316.5mでこちらにも櫓台らしきものが推定でき、現在は「史跡 滝山城址」という石碑が建っている。また東曲輪群との間には堀切があり、尾根沿いからのくる侵入者を防ぐ。また西曲輪群との間にも堀切と土橋らしきものが確認できる。最高所から南東および北東に延びる尾根沿いに曲輪群が構えられている。 東と中央の間にある堀切 中央曲輪 本丸跡 曲輪の土留用の石垣跡
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中央曲輪群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:37 UTC 版)
出丸 虎口 虎口跡 出丸曲輪 芥川山城の大石垣 飯盛山城の大石垣 現在は東曲輪群より山道が整っているが、芥川山城の大手通はこの中央曲輪群の虎口より進入する。またこの虎口跡には山城には珍しい石垣跡が存在している。この石垣は戦国時代の技術ではあり得ない組み方をしており、現在でも議論になっている。三好長慶のもう一つ居城飯盛山城にも同様な石垣があり、三好長慶時代に構築された可能性もある。また最後の城主であった、高山友照・重友親子時代に織田信長方の築城ノウハウを取り入れたという説もある。虎口という点から防御用の石垣ということも推察されるが、今後の詳しい調査が待たれている。また出丸跡の最先端部には櫓が構えられていた可能性がある。
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