坂本義邵
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坂本 義邵(さかもと よしあき、明暦2年(1656年) - 享保12年2月16日(1727年4月7日))は、江戸時代中期の近江国坂本出身の武士・神道学者で、後に陸奥国会津藩士。通称は覚之進[1]、後に学兵衛。室町幕府最後の将軍足利義昭の子と称する一色義喬(左兵衛、後に和泉とも)の子、一色義房(筑後)の次男で母は柳原氏。苗字は初め「一色」であったが、出身地にちなんで「坂本」に改めた。子に坂本義馮、孫に坂本義辰。
- ^ 「足利市史 上巻」では『学之進』とも
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