永山義在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 07:13 UTC 版)
永山 義在(ながやま よしあり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての人物。室町幕府15代将軍・足利義昭の子として薩摩藩の史料に登場する。通称は右近、休(久)兵衛。『姓氏家系大辞典』やそれを引用した本の影響のため、一般的には永山休兵衛で知られる[4]。
- ^ ただし、下記参考文献所収「永山氏系図」では具体的な生没年の記載はない。
- ^ 『旧柳川藩志』第十八章・人物・第十六節 柳川偉人小伝(六)P.954によると、実は足利義昭の子、近江矢島氏を継ぐ。妻は菊亭晴季の女。子に矢島重成、八千子(立花宗茂継室)。
- ^ 中野等『立花宗茂』P.270によると、矢島重成について実は義昭の子であるとする説もある。
- ^ 『姓氏家系大辞典』では、永山休兵衛としか呼称されていない。
- ^ 「永山氏系図」参照。「系図纂要」にもある。
- ^ ただし、「永山氏系図」では義尋は僧の身でありながら子供をもうけて寺を追放されているとあるので、言わば足利将軍家の汚点であるのであえて記載していない可能性もある。この場合、一色義喬は義尋の私生児ということになる。
- 1 永山義在とは
- 2 永山義在の概要
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