一色藤長とは? わかりやすく解説

一色藤長(いっしき ふじなが) ????~1596


一色藤長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 13:48 UTC 版)

 
一色 藤長
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長元年4月9日1596年5月6日)?
改名 藤長→一遊斎(号)
別名 通称:七郎
戒名 岫雲院
官位 従五位下式部少輔
幕府 室町幕府御供衆
主君 足利義輝(義藤)
氏族 一色氏(式部一色家)
父母 父:一色晴具、母:細川晴宣の娘[1]
兄弟 藤長、秀勝、足利義晴側室
範勝
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一色 藤長(いっしき ふじなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士室町幕府御供衆。通称は七郎[2]。号は一遊斎[2]

以心崇伝は甥にあたる(弟・秀勝の子)[2]

生涯

一色晴具の子として生まれる[2]

室町幕府守護大名一色氏の一族式部一色家の出身で、宗家の一色義貫の代に家督争いをした一色持範の子孫にあたる。

当初は一色宗家の領国・丹後国郡代を務めていたとされる。

天文6年(1537年)、式部少輔に任じられる[2]。同13年(1544年)、13代将軍足利義藤(義輝)より所領を拝領する(後に加増される)[2]。天文18年(1549年)に父が亡くなると、奉公衆となっていた一色式部家の当主となり、細川輝経らと共に義輝に近仕した。

天文21年(1552年)に従五位下となり、足利義藤より偏諱を受け藤長と称す。一色氏は御部屋衆の家柄であったが、藤長の時代に格上の御供衆となり、伊勢貞孝が討たれた後にはその所領の一部を与えられている[3]永禄6年(1563年)の「永禄六年諸役人附 光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」に、御供衆の一人として藤長の名が見える[4]

永禄8年(1565年)の永禄の変で義輝が殺害されると、三好三人衆らに興福寺に幽閉された一乗院覚慶細川藤孝三淵藤英和田惟政、仁木義政、米田求政らと共に脱出させて救出した。義昭の将軍就任後も御供衆にあり諸大名との取次役も務めたが、細川藤孝らと比べて必ずしも重要な地位にいた訳ではなかった。

藤長の存在感が高まったのは、元亀4年(1573年)に義昭が織田信長と対立した頃からとみられている[5]。同年に足利義昭が織田信長によって京を追放されると、義昭に従って紀伊国に下る。

天正4年(1576年)、義昭が備後国へ移った際は、畿内との連絡役のために義昭から紀伊田辺城(泊城)に留まることを命じられたが、これに従わずに鞆の義昭を追いかけたために不興を買い、家臣の地位を失う[6]。藤長は毛利氏に懇願して復帰を願うものの、許されることなく、義昭の下を去らざるを得なくなった[7]

その後、細川藤孝を頼っている。以後の動静の記録は、細川家で催された会に出席したことに関する記述が大半で、合戦の参加記録などはない。後になって、義昭の下へ挨拶へ向かっている。

慶長元年(1596年)4月9日、死去した[2]

異説

脚注

  1. ^ 両畠山系図」、塙保己一編『続群書類従 巻115-116』。
  2. ^ a b c d e f g 堀田等 1964, p. 176.
  3. ^ 木下 2017, p. 225.
  4. ^ 下呂町史編集委員会 編『飛騨下呂』《史料Ⅱ》下呂町、1986年3月10日。NDLJP:9539951/50 (要登録)
  5. ^ 木下 2017, pp. 230–231.
  6. ^ 木下 2017, pp. 238–239.
  7. ^ 木下 2017, pp. 239–240.

参考文献

外部リンク


一色藤長(声:増谷康紀)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 23:13 UTC 版)

決戦III」の記事における「一色藤長(声:増谷康紀)」の解説

義昭側近。主に軍略担当する幕府再興のため尽力し、そのためには手段を選ばない本能寺の変後、かつての信長同様、義昭軽んじる光秀御所の獄に幽閉し幕府軍兵権を握るが、自力脱出した光秀によって「君側の奸」として斬り殺される

※この「一色藤長(声:増谷康紀)」の解説は、「決戦III」の解説の一部です。
「一色藤長(声:増谷康紀)」を含む「決戦III」の記事については、「決戦III」の概要を参照ください。

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