戦国時代 (日本)
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日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って、守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。
注釈
- ^ 一方で遠国の領主の中には両属的な対応を取った事例も確認できる。明応4年、陸奥の結城政朝は上洛の途次、経由地の越中で足利義材に挨拶を行った上で京都に上っている[19]。
- ^ ただし、伊勢氏(後北条氏)が大名格にまで身分を上昇させるのは北条氏康期以降である。それ以前は身分的には国人に過ぎず[21]、天文年間末期の古河公方・足利義氏擁立段階に至っても、後北条氏は古河公方を推戴することによってしか地域支配を貫徹しえない状況であった[22]。
- ^ 既に戦国時代最末期であるが、足利将軍の権威性は依然として健在だった。元亀3年、毛利輝元の攻勢を受け危機に陥っていた備前の浦上宗景は、義昭に芸備和睦の斡旋を願い出た。備前への侵攻作戦を目前にしていた毛利氏にとって、浦上氏との和睦は到底受け入れ難いものであったが、「今度芸備和平之儀、雖非本意候、京都御下知之条、不能違背、応上意候」と京都(将軍)の命令に背くことは出来ないとして和睦を受諾している[84]。
- ^ a b 「日本の近世城郭は16世紀第4四半期に原型が成立し、17世紀第1四半期にもっとも複雑化した。16世紀第3四半期までは日本の拠点城郭(戦国期拠点城郭)はそれぞれの地域性を色濃く備えた。そうした戦国期拠点城郭のプランに表れた地域性は、築城主体であった権力構造の反映であった。そうした地域性は巨視的に見れば城郭構造の求心・階層構造を指向したものと、並立的な城郭構造を指向したものに区分される。」[184]
- ^ 「根小屋」という用語について香川元太郎は、城の前に形成された家臣屋敷の集合集落としている[183]。
出典
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「戦国時代 (日本)」の例文・使い方・用例・文例
- 戦国時代へタイムスリップしました
- 戦国時代は大名が各地で覇を唱え天下をとろうとしていた.
- 戦国時代
- 戦国時代には学問は寺院の境内に限られた
- 戦国時代には学問は寺内に限られた
- 中国の戦国時代において,陰陽五行を説く人
- 越という,中国の春秋戦国時代の国
- 戦国時代から江戸時代において,大名や幕府に使われた密偵
- 中国の戦国時代の九つの国
- 九鬼流という,戦国時代の海軍の流派
- 車裂きという,二両の車に片足ずつ縛りつけ,罪人の肢体を引き裂く,戦国時代の刑罰
- 戦国時代,普請や雑役にあたった人夫
- 室町,戦国時代,1郡または2郡の行政区画を支配した役職
- 戦国時代,水軍の大将の乗る軍船
- 奈良時代から戦国時代にかけての貴族と寺社の私有地
- 戦国時代,下級兵士が戦場で用いた笠
- 戦国時代の下級兵士
- 戦国時代の下級兵士の仲間
- 戦国時代に陣中で色々な合図に鳴らした鐘
- 中国春秋末期から戦国時代において,諸学者と諸学派のこと
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