元和偃武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/25 16:36 UTC 版)
元和偃武(げんなえんぶ)は、慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣で江戸幕府が大坂城主の豊臣家(羽柴宗家)を攻め滅ぼし、応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱以来[注釈 1]、日本国内で150年近く断続的に続いていた大規模な軍事衝突が終息した事を指す語[1]。
同年7月、江戸幕府は朝廷に元号を慶長から元和と改めさせ、天下の平定完了を宣言したと見られる[2]。幕府は改元直前の閏6月に一国一城令を、改元後は武家諸法度を制定するなど支配体制の強化を図っていった。幕府による全国支配体制の基礎が確立した後は、大名など領主権力間での軍事衝突は発生せず[注釈 2]、幕府による天下泰平の時代は約250年に及んだ。
概要
由来
偃武とは、中国古典『書経』周書・武成篇の中の語「王来自商、至于豊。乃偃武修文。(王 商自り来たり、豊に至る。乃ち武を偃(ふ)せて文を修む。)」に由来し、武器を偃(ふ)せて武器庫に収めることを指している[3]。「元和偃武」という語の初出の時期は不明だが、江戸時代中期以降の儒者が、幕府の治世を称え、賞賛するために創った語と推定されている[3]。
戦国時代の終期
戦国時代の終期にはいくつかの見解が存在するが、その一つが大坂の陣での豊臣氏の滅亡により、元和偃武によって戦国時代が終了したとの考え方である[4]。
文学史
支配体制や軍事史とは別に、文学史では、乱世を描いた「中世文学」の時代を、保元の乱に始まり、大坂城落城までとして元和偃武に終わる、との説がある[5][6]。元和偃武を境に、それまでは仮想で描かれていた太平が現実になり、同じ言葉や台詞でも明確に意味が変化し、機能が異なっている[7]。
脚注
注釈
出典
- ↑ 和歌森太郎編 『日本の歴史』上 有斐閣 1957年、doi:10.11501/2973075、p.208
- ↑ 渡邊大門「10の論点で読み解く 検証! 大阪の陣」『歴史読本』「大坂の陣と秀頼の実像」2014年11月号
- 1 2 辻 1993, p. 7.
- ↑ 渡邊大門『大坂落城 戦国終焉の舞台』KADOKAWA <角川選書> 2012年、第4章4節「戦国の終焉」
- ↑ 『岩波講座 日本歴史 26巻 日本史研究の現状』岩波書店 1977年、p.135
- ↑ 佐竹昭広 『閑居と乱世 - 中世文学点描』 平凡社 2005年、p.254
- ↑ 佐竹昭広 『閑居と乱世 - 中世文学点描』 平凡社 2005年、pp.256-257
参考文献
- 辻達也『日本の近世 10 - 近代への胎動』中央公論社〈日本の近世〉、1993年。 ISBN 978-4124030303。
関連項目
元和偃武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 22:40 UTC 版)
この戦いを境に応仁の乱より断続的に続いていた大規模な戦闘が終焉した。これを元和偃武と言う。 詳細は「元和偃武」を参照
※この「元和偃武」の解説は、「大坂の陣」の解説の一部です。
「元和偃武」を含む「大坂の陣」の記事については、「大坂の陣」の概要を参照ください。
- 元和偃武のページへのリンク