豊臣秀吉の九州征伐と関ヶ原の戦い、元和偃武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 05:09 UTC 版)
「松山城 (豊前国)」の記事における「豊臣秀吉の九州征伐と関ヶ原の戦い、元和偃武」の解説
1586年(天正14年)、豊臣秀吉は九州征伐を開始。主力であった毛利軍が松山に入ると、近隣の豪族である城井朝房や長野氏等がこぞって帰順。松山城には毛利氏家臣・仁保元豊や湯浅将宗が入った。島津氏降伏後、松山城は黒田孝高の所領となり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後に、豊前国を領した細川忠興の所領となった。 松山城は1606年(慶長11年)に廃城となり、800年に及ぶ城の歴史に終止符を打った。
※この「豊臣秀吉の九州征伐と関ヶ原の戦い、元和偃武」の解説は、「松山城 (豊前国)」の解説の一部です。
「豊臣秀吉の九州征伐と関ヶ原の戦い、元和偃武」を含む「松山城 (豊前国)」の記事については、「松山城 (豊前国)」の概要を参照ください。
- 豊臣秀吉の九州征伐と関ヶ原の戦い、元和偃武のページへのリンク