豊臣秀吉の九州平定とは? わかりやすく解説

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豊臣秀吉の九州平定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 15:16 UTC 版)

九州平定 (日本史)」の記事における「豊臣秀吉の九州平定」の解説

豊臣秀吉の九州平定戦は、戦役としては「九州の役」「九州の陣」「九州攻め」「島津攻め」「島津征伐」「(秀吉の)九州征討」「(秀吉の)九州征伐」「(秀吉の)九州出兵」などの名称で称されることも多い。島津氏立場からは「(秀吉による)九州侵攻」などの表現もなされ、結果や状態をあらわす語としては「(秀吉の)九州制圧」「(秀吉の)九州征服」などの語も用いられ一定していない。しかし、「平定」には「秩序回復する」の意もあり、したがってそれは、戦後知行割りである「九州国分」の実施惣無事令刀狩令などの法令発布、「太閤検地」など諸大名領地横断する広域政策の実施、および、それを差配するための石田三成細川藤孝九州取次任命など、一連の秩序回復行為全体含意して用いられる詳細は「九州征伐」、「惣無事令」、および「九州国分」を参照 上述した天正13年10月九州停戦命令は、従来とは異なり天皇意向であることを前面押し出したものであり、「国郡境相論秀吉双方言い分聞いて裁定するから即座に停戦せよ、停戦ない場合天皇に代わって成敗する」というものであったこれほど秀吉が「武家関白」であることを端的に示す言葉はなく、また、信長時点では用いることのできなかった論理展開しえたところに武家関白」の意義があった。土地人民支配天皇より委任されているという「公儀」の論理をみずからの平定事業用いたのである天正15年3月秀吉九州全土をほぼ平定する勢いであった島津軍対し、「やせ城どもの事は風に木の葉の散るごとくなすべく候」(黒田孝高あて朱印状)として、みずから九州出陣した秀吉大軍対し島津氏日向高城宮崎県木城町)を前線として抗戦したが、日向根白坂の戦い完敗により、5月6日には島津義久が「龍伯」と号して剃髪し5月8日秀吉滞留していた薩摩川内泰平寺において正式に降伏の意を表明した義久弟島津歳久、同じく日向飯野城城主島津義弘家臣新納忠元らは義久降伏後抵抗つづけたが、豊臣方石田三成島津側の伊集院忠棟のあいだで調停がすすみ、義久働きかけもあって講和成立した5月25日秀吉臣従した義久を「一命捨てて走り入ってきたので赦免する」として、義久には薩摩義弘には大隅安堵し義弘の子島津久保には日向諸県郡のうち真幸院あたえたまた、5月30日には佐々成政肥後一国あたえた。さらに秀吉同年6月7日筑前箱崎現在の福岡市東区)に陣を構え博多福岡市博多区)を直轄都市としたうえで、小早川隆景筑前筑後および肥前のうち1郡半の約37万石黒田孝高(如)には豊前のうち6郡の約125,000石、立花統虎宗茂)には筑後柳川城福岡県柳川市13万2,000石、毛利勝信には豊前小倉約6万石それぞれあたえた。宗麟の子大友義統には豊後一国日向伊東祐兵肥前龍造寺政家大村喜前松浦鎮信対馬宗義智には、それぞれ所領安堵した。これが、「九州国分」とよばれる九州平定事業にともなう知行割り概略である。 九州への停戦命令には「惣無事」の語はなかったが、翌年末に関東奥羽諸大名向けて発せられた同趣旨の停戦命令にはその語が用いられるので、しばしば総称して惣無事令」と呼称される。藤木久志によれば秀吉天下統一は、「惣無事令」と領土裁定にもとづく「国分令」を基本として進められ、それに違反した場合限って武力討伐が行われたのであり、従来語られてきたように、必ずしも専制権力による「征伐一辺倒によって進められたものではないとしている。また、刀狩令、海賊停止令喧嘩停止令まで含めて豊臣平和令」として把握した場合一連の平和令は、もっぱら武力によって問題解決をはかることで生活のあらゆる場面私闘満ちていた中世の「自力救済社会」の惨禍から、むしろ人びと救ったのであるとして、積極的な意味づけあたえられている。 なお、瀬戸内海制海権が完全に豊臣政権服したため、経済的に水上交通における流通掌握が各大名にとって以前比較して格段に重要度増した毛利輝元また、九州平定後、本拠地山間地に立地する安芸国吉田郡山城より太田川河口広島に遷している。広島城は、天正19年1591年)に完成している。

※この「豊臣秀吉の九州平定」の解説は、「九州平定 (日本史)」の解説の一部です。
「豊臣秀吉の九州平定」を含む「九州平定 (日本史)」の記事については、「九州平定 (日本史)」の概要を参照ください。

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