肥前
「肥前」とは、かつて日本に存在した令制国のことを意味する表現である。
「肥前」の基本的な意味
「肥前」とは、日本にあった令制国の一つで、現在の佐賀県と長崎県(壱岐島と対馬を除く)にあたる。「火国(ひのくに)」あるいは「肥国(ひのくに)」と呼ばれた地域が、「肥前」と「肥後」という二つの国に分割されて成立したとされる。正確な時期は不明だが、奈良時代の始まりよりも前(七世紀ごろ)には「肥前」が誕生していたと推測されている。大和朝廷が唐・新羅との戦争に大敗した後、肥前を含む周辺地域に防衛拠点を導入する、あるいは室町時代末期以降は貿易のための出島が築かれるなど、その位置関係ゆえに海外との関係性が深い。また、「肥前」は佐賀県北部、現在の唐津市が統合される前の旧町名でもある。1958年に旧国名「肥前国」を元にした「肥前町」が誕生したが、2005年に周辺の町と合併して唐津市となった。畑作やミカンの栽培、畜産、漁業などが盛な地域である。
「肥前」の発音・読み方
「肥前」は「ひぜん」と読む。なお、「肥前国」は「ひぜんのくに」、古くは「ひのみちのさきのくに」と呼ばれることもあった。「肥前藩(江戸時代の藩)」とは
「肥前藩(江戸時代の藩)」とは、肥前国佐賀郡に置かれた藩の名前である。「佐賀藩(さがはん)」や当主の家名から「鍋島藩(なべしまはん)」とも呼ばれる。その成り立ちは複雑で、江戸幕府が成立するより前、この土地は龍造寺家が治めていた。当主であった龍造寺隆信は「九州三強の一人」や「肥前の熊」などと呼ばれる人物であったが、島津家・有馬家との戦にて戦死。跡を継いだ龍造寺政家が病弱だったことから、隆信の義弟かつ重臣である鍋島直茂が後見人となり、実権を掌握することとなった。その後、龍造寺家の子息が当主となるものの、江戸幕府開祖である徳川家康が鍋島家を重用したため、龍造寺家との争いが勃発。最終的には鍋島直茂の息子である勝茂を立て、肥前藩が誕生した。なお、実質的には藩主のような立ち位置にありつつも、藩主とはなっていない鍋島直茂は藩祖と呼ばれる。鎖国をする日本において、唯一、西洋諸国と中国向けに開いた貿易港として栄えた肥前長崎港が近いため、隣接する福岡藩と一年交代での警備を担っていた。この警備による財政負担は重く、財政破綻に陥りかけた時期もある。西洋技術等の導入は盛んに行われ、牛痘ワクチンの輸入や日本初の蒸気船の進水の実績など、近代化の速度はトップクラスだったとされる。
「肥前」を含むその他の用語の解説
肥前忠広(ゲームのキャラクター)とは
「肥前忠広(ゲームのキャラクター)」とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞ONLINE」に登場するキャラクター名である。「刀剣乱舞」には、実際に存在する、あるいは存在したとされる刀剣等を擬人化したキャラクターが多数登場するが、「肥前忠弘」のモデルは、安土桃山時代から江戸時代に活躍した刀工・肥前忠広(肥前忠吉)が手がけたとされる脇差である。土佐藩の坂本家に代々あったものを、幕末の志士・坂本龍馬が家から持ち出し、人々の間を転々とした後、幕末の剣客・岡田以蔵が使用していたとされる。最後の持ち主である以蔵が「命令に従って幾人もの仲間を暗殺した」という逸話を持つことから、「肥前忠広」も自らを人斬りの刀と自称している。
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肥前
名字 | 読み方 |
肥前 | ひぜん |
肥前
姓 | 読み方 |
---|---|
肥前 | ひぜん |
肥前国
肥前(ひぜん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:51 UTC 版)
元ロシア戦艦レトヴィザン。1921年(大正10年)9月1日、一等海防艦に変更。1923年(大正12年)9月20日、除籍。1924年(大正13年)7月25日、長門型戦艦(長門、陸奥)他の標的となり撃沈処分。
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