河尻秀隆とは? わかりやすく解説

河尻秀隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 21:22 UTC 版)

河尻 秀隆(かわじり ひでたか)は、戦国時代武将織田氏の家臣。黒母衣衆筆頭で、のちに織田信忠の補佐役及び美濃岩村城主を務め、甲斐国主にまで昇った。馬印は金のつり笠。秀隆および河尻氏に関係する文書は少なく、事跡の多くは『信長公記』や『甲陽軍鑑』、徳川氏関係の記録に記されている。


注釈

  1. ^ 巨摩郡八代郡・都留郡・山梨郡[50]
  2. ^ 平山優は、曽根昌世が河尻討滅の任をもって甲府入りした可能性が高いと指摘している。
  3. ^ 芳春院の生母竹野氏は夫篠原一計との死別後に高畠直吉のもとへ再嫁し、直吉嫡男吉光を産んだ。故に竹野氏娘芳春院と直吉嫡男吉光とは異父姉弟となった。吉光には嫡男定吉と娘とがあり、娘は河尻秀隆に嫁いで、後に末守殿となる娘を産んだ。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 岡田 1999, p. 207
  2. ^ a b c d 山田四郎右衛門『 三壺聞書
  3. ^ 『国史大辞典 第3巻』吉川弘文館、1983年、719頁。 
  4. ^ a b 日置謙『加能郷土辞彙』金沢文化協会、1942年、455頁。 
  5. ^ a b c d e f g 谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(第2版)吉川弘文館、2010年、159-161頁。 
  6. ^ a b すずき孔/監修・柴裕之『マンガで読む 信長武将列伝』戎光祥出版、2019年、166頁。 
  7. ^ a b 小瀬甫庵『信長記』
  8. ^ a b c d e f g h i j 『信長公記』
  9. ^ 岡田 1999, p. 319.
  10. ^ 和田 2017, p. 275.
  11. ^ 吉田蒼生雄/訳注『『武功夜話(全四巻)第一巻』』新人物往来社、1987年、163-164頁。 
  12. ^ 岡田 1999, p. 328.
  13. ^ a b 『南北山城軍記』山本館里
  14. ^ 岡田 1999, pp. 20, 329.
  15. ^ 横山住雄『犬山大泉寺史』大泉寺、1985年、28-30頁。 
  16. ^ 朝尾直弘『将軍権力の創出』岩波書店、1994年、184-186頁。 
  17. ^ 岡田 1999, pp. 207, 339.
  18. ^ 功刀俊宏; 柴裕之 編『戦国史研究会史料集4 丹羽長秀文書集』戦国史研究会、2016年、38頁。 
  19. ^ 天野忠幸『三好一族と織田信長「天下」をめぐる覇権戦争』戎光祥出版、2016年、101頁。 
  20. ^ a b 小葉田淳 編『堺市史 続編 第5巻』堺市役所、1974年、927頁。 
  21. ^ 竹内理三 編『増補 続史料大成 晴右記・晴豊記』臨川書店、1978年、114-115頁。 
  22. ^ 岡田 1999, p. 343.
  23. ^ 岡田 1999, p. 345.
  24. ^ 岡田 1999, p. 346.
  25. ^ 岡部伊都子、濱中光哲、濱中光永、北角良澄『古寺巡礼近江6 湖東三山』淡交社、1980年、115-116頁。 
  26. ^ 丸島 2017, pp. 118–121.
  27. ^ 平山優『徳川家康と武田信玄』〈角川選書〉2022年、272ー273頁。 
  28. ^ 平山優『<武田信玄と戦国時代>頓挫した美濃侵略 信玄の誤算』学研〈歴史群像デジタルアーカイブス〉、2014年、14頁。 
  29. ^ 丸島和洋『戦国大名武田氏の家臣団-信玄・勝頼を支えた家臣たち-』教育評論社、2016年、175-176頁。 
  30. ^ 竹本千鶴『松井友閑』吉川弘文館、2018年、68-69頁。 
  31. ^ 平山優『武田氏滅亡』〈角川選書〉2017年、44-46頁。 
  32. ^ 岡田 1999, p. 360.
  33. ^ 谷口克広『信長軍の司令官』〈中公新書〉2005年、126-127頁。 
  34. ^ 竹間芳明「戦国末期の郡上の検討‐武田氏、越前一揆・本願寺政権との関わりを中心として」『若越郷土研究』第60巻1号、福井県郷土誌懇談会、2015年、56頁。 
  35. ^ 柴辻 2016, p. 228.
  36. ^ 平山 2017, p. 113.
  37. ^ 岡田 1999, p. 361.
  38. ^ 平山 2017, pp. 90–92.
  39. ^ 岡田 1999, p. 363.
  40. ^ 『當代記 駿府記』続群書類従完成会、2006年、27頁。 
  41. ^ 柴辻 2016, p. 227.
  42. ^ a b 谷口 1983.
  43. ^ 竹本千鶴『松井友閑』吉川弘文館、2018年、167-171頁。 
  44. ^ 藤田達生『織田信長 近代の胎動』山川出版社、2018年、89頁。 
  45. ^ 丸島 2017, p. 338.
  46. ^ 平山 2017, pp. 614,624.
  47. ^ 岡田 1999, p. 373.
  48. ^ 『落穂集』
  49. ^ 本多隆成『徳川家康と武田氏 信玄・勝頼との十四年戦争』吉川弘文館、2019年、215頁。 
  50. ^ a b 諏訪市史編纂委員会 1995, p. 1080.
  51. ^ 平山 2015, p. 38.
  52. ^ 平山優『穴山武田氏』戎光祥出版〈中世武士選書 第5巻〉、2011年、228-229頁。 
  53. ^ 平山 2017, pp. 714–718.
  54. ^ 『當代記 駿府記』続群書類従完成会、2006年、41頁。 
  55. ^ a b c 平山 2015, pp. 63–66.
  56. ^ 諏訪市史編纂委員会 1995, p. 1081.
  57. ^ 『寛政重修諸家譜 第13』続群書類従完成会、1965年、81-82頁。 
  58. ^ 横山住雄『中世美濃遠山氏とその一族』岩田書院、2017年、53-57頁。 
  59. ^ 断家譜 第一』続群書類従完成会、1968年、232頁。 
  60. ^ 平山 2015, p. 126.
  61. ^ a b 柴裕之『徳川家康 境界の領主から天下人へ』平凡社、2017年、112-113頁。 
  62. ^ a b c d e f 平山 2015, pp. 117–120.
  63. ^ 平山優「天正壬午の乱と曽根昌世-新発見の徳川家康書状の紹介を兼ねて-」『武田氏研究』67号、武田氏研究会、2023年、45-47頁。 
  64. ^ 谷口克広『信長と家康-清須同盟の実体』〈学研新書〉2012年、280-282頁。 
  65. ^ 『當代記 駿府記』続群書類従完成会、2006年、45頁。 
  66. ^ 日置謙『加能郷土辞彙』金沢文化協会、1942年、29頁。 
  67. ^ 和田 2017, pp. 143–144.
  68. ^ 奥野 1969, pp. 766–767.
  69. ^ 奥野 1969, pp. 775–776.
  70. ^ 平井上総『兵農分離はあったのか』平凡社、2017年、185頁。 
  71. ^ 柴辻 1981, p. 358.
  72. ^ 柴辻 1981, p. 359.
  73. ^ 平山 2015, p. 63.
  74. ^ 平山 2015, p. 65.
  75. ^ 広報こうふ 2019年2月号 (PDF) - 甲府市、2020年4月15日閲覧。
  76. ^ 『柳沢吉保と甲府城』山梨県立博物館、2011年、6-8頁。 
  77. ^ 笛吹市文化財ガイドブック (PDF) - 笛吹市、2019年12月23日閲覧。
  78. ^ a b 三浦一郎『武田信玄・勝頼の甲冑と刀剣』宮帯出版社、2011年、12-17頁。 


「河尻秀隆」の続きの解説一覧

河尻秀隆(人型メカ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 03:52 UTC 版)

婆裟羅2」の記事における「河尻秀隆(人型メカ)」の解説

56歳信長の父、信秀の代から織田家仕え譜代家臣黒母衣衆筆頭経て信忠筆頭与力となる。武田家滅亡後甲斐国統治していたが、一揆多発加え信勝存命の噂を知り、その根源を立つため出陣

※この「河尻秀隆(人型メカ)」の解説は、「婆裟羅2」の解説の一部です。
「河尻秀隆(人型メカ)」を含む「婆裟羅2」の記事については、「婆裟羅2」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「河尻秀隆」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「河尻秀隆」の関連用語

河尻秀隆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河尻秀隆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの河尻秀隆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの婆裟羅2 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS