黒母衣衆の筆頭とは? わかりやすく解説

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黒母衣衆の筆頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 06:41 UTC 版)

河尻秀隆」の記事における「黒母衣衆の筆頭」の解説

信秀没後織田信長にも仕え、黒母衣衆の筆頭を務める。永禄元年1558年)、信長が弟の織田信勝信行)を謀殺するために清洲城呼び寄せたときには青貝とともに信勝の殺害実行した永禄3年1560年5月桶狭間の戦い参加する急遽出陣した信長織田造酒丞岩室重休長谷川橋介山口飛騨守加藤弥三郎と共に真っ先従った。なお通説では毛利良勝今川義元討ち取ったとされるが、討手を秀隆とする異説存在する永禄8年1565年夏期丹羽長秀と共に美濃猿啄城攻め命じられる城主多治見修理亮地の利生かしてよく城を守ったが、長秀が隣山を占拠して水源絶ち、秀隆が猛攻仕掛けて落城させた。 同年9月28日堂洞城攻めでは激戦の中、本丸一番乗りするという武功挙げ岸信周自害追い込んでいる。 戦後美濃攻めでの一連の功により猿啄城与えられ城名を「勝山城」と改称する勝山入城後は、城下坂祝町長蔵寺河尻氏菩提寺定めた。また戦火全焼した大泉寺復興支援したとされる永禄12年1569年)、坂井政尚と共に今井宗久に堺北庄証文引き渡すように申し伝える使者として派遣されている。 同年8月伊勢北畠氏大河内城攻め参加する。この時は「尺限廻番衆」として菅屋長頼塙直政中川重政前田利家と共に張り巡らされた柵内の巡回担当した同年9月6日付け今井宗久から織田家諸将佐久間信盛木下秀吉柴田勝家坂井政尚河尻秀隆金森長近中川重政津田一安丹羽長秀武井夕庵)へ向けた陣中見舞い書状案にその名がみえている。 元亀元年1570年2月19日、堺の今井宗久から安宅神太郎淡路三好三人衆方を破ったことについて急報受けている。書状案では金森長近武井夕庵坂井好斎菅屋長頼並べて名が記されており、当時信長代表的な側近認識されていたことがわかる。 同年3月6日中山孝親甘露寺経元信長訪問した不在のため秀隆が応対し、礼として30疋を受け取っている。 同年6月28日姉川の戦い従軍し本戦後の磯野員昌籠城する佐和山城攻めでは付城一つである西彦根山に布陣した。 同年9月志賀の陣では佐久間信盛明智光秀村井貞勝佐々成政と共に穴太の砦に入り比叡山延暦寺包囲一角担った元亀2年1571年2月磯野員昌退去した後の佐和山城入城し以後丹羽長秀と共に城将として活動する同年9月信長比叡山焼き討ちに際して比叡山傘下天台寺院をも焼き払うことを命じ、秀隆は丹羽長秀と共に湖東三山西明寺焼き討ち行った21日には前年野田城・福島城の戦い本願寺方に内通し高宮右京亮一族郎党佐和山城召喚し誅殺した。高宮先手打って切って出た別段支障なく成敗されたという。その直後には丹羽長秀・秀隆の連名多賀社に条規下し、安全を保障し混乱を防ぐとともに高宮預けていた物品没収している。さらに高宮寺竹木保護許可しており、この地域一定の権益与えられていたようである。 元亀3年1572年10月武田信玄敵対知った信長の命を受け、織田信広と共に岩村城占拠して信長の四男・坊丸(織田信房)を遠山家養子据えた11月には岐阜城詰めていた佐久間信盛徳川家康援軍として浜松派遣され手薄になった岐阜城防衛強化のために信広、秀隆は帰還する。その直後信長強引な手法反感持っていた遠山家臣らは岩村城軍勢引き入れ武田方に寝返った元亀3年岩村城の戦い)。翌年3月には秋山虎繁入城しおつやの方祝言上げ、坊丸は人質として甲斐送られている。 天正元年1573年11月佐久間信盛と共に足利義昭与した三好義継若江城攻めて自害追い込んだ若江城の戦い)。 同年12月2日昼、塙直政梁田政綱今井宗久と共に堺の豪商津田宗及邸を訪問し料理振舞われている。

※この「黒母衣衆の筆頭」の解説は、「河尻秀隆」の解説の一部です。
「黒母衣衆の筆頭」を含む「河尻秀隆」の記事については、「河尻秀隆」の概要を参照ください。

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