い‐せつ【異説】
異説(弘治2年説)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 13:30 UTC 版)
この戦いは、通説では永禄4年(1561年)4月15日に起こったとされている。しかし、『松平記』では弘治2年(1556年)の出来事としており、松平好景の孫である松平家忠が書いた『家忠日記』の天正6年(1578年)3月4日の条に好景の23回忌の追善供養をした記事(「祖父大炊助二十三年の心さし候」)がある。弘治2年説をとった場合、前掲『松平記』に同年4月頃、吉良義昭が今川義元に背いて織田信長と結んだとあるため、戦いの性格も「松平 対 今川(吉良)」から「今川(松平) 対 織田(吉良)」という図式に変わってくる。 また、『松平記』にある弘治年間の戦いの時の吉良氏の当主は吉良義昭ではなく、兄の吉良義安であったとする説もある。
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