異見前史
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『捏像 はいてなかった赤い靴』の刊行以前にも、当曲の解釈の相違が表面化したことがあった。2003年(平成15年)2月、NHK教育テレビの教養番組『NHK人間講座』の「人はなぜ歌うのか」シリーズに出演した永六輔は、野口不二子から聞いた話として、「『赤い靴』の赤は実はソ連のことで、「そのソ連、社会主義がどこかへいっちゃった」と雨情は謳っているのだが、治安維持法による検閲を逃れるため隠喩を用いたのだ」と紹介した。 だが野口不二子は、週刊新潮2004年(平成16年)6月17日号所載の記事中で、「永さんと雨情の童謡について何かを話したということはありません」とこれを否定、「私はたしかに聞きましたからねえ」とする永との間で差を生じている。また同記事は、「治安維持法の成立は『赤い靴』の発表の数年後である」と永の誤解を指摘する作曲家江口浩司のコメントや、「雨情の名作を反日ソングであるかのように曲解している」と永を批判する作曲家すぎやまこういちのコメントを掲載している。 また同記事中、雨情研究家で雨情会元理事長の西条和子は、雨情が鈴木史郎から聞かされた話が詩作のキッカケになったと「定説」を紹介し、「永さんの赤はソ連という解釈はどうかな、と思いますね」とコメントしている。 同記事の結論部分は、「歌というものは作った人がどんな気持ちだろうが、後世の人々の思いに左右されてしまうものですよ」と詩歌受容論に逃げようとする永六輔を、「童謡は理屈によって歌詞の判断を許されてはをりません」という雨情自身の文章を引用して記者が切り捨てている。 ただし同記事は、雨情が社会主義詩人として出発したこと、鈴木史郎が平民農場に関わっていたことについては一言も触れていない。その後の雨情の作風の変化が、心底から転向し社会主義を捨てたことによるものなのか、それとも転向は偽装で社会主義が詩作の根っ子に残っているのか、という論点の検証もなされていない。 また野口不二子は後日、『赤い靴』は社会主義者・野口茂吉を「ベースにして書いたとも思われる」としていて(前述)、永六輔の論考と多少の食い違いはあっても、「赤い靴=社会主義」説を否定するものではない。 2007年(平成19年)、『捏像 はいてなかった赤い靴』出版のプロモーションにあたって、阿井渉介は当初、週刊朝日を頼りにしたのだが、週刊朝日の記事は必ずしも阿井の菊地批判に全面的な賛意を示さなかった。このことを不満とした阿井は週刊新潮に話を持ち込み、週刊新潮は「週刊朝日への揶揄」を中心とする記事を掲載した。阿井は週刊新潮が「赤い靴=社会主義」説を否定する立場にあることを知らず、週刊新潮の編集部は『捏像』が「赤い靴=社会主義」説に立脚していることを読み落としたと思われるが、結果、週刊新潮は「誌内不統一」を自ら招いたのである。 なお、2009年(平成21年)12月にオンエアされたTBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」の中では、ゲストの松島トモ子が「定説」を紹介している。
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