松島トモ子とは? わかりやすく解説

松島 トモ子

松島トモ子の画像 松島トモ子の画像
芸名松島 トモ子
芸名フリガナまつしま ともこ
性別女性
出身地満州
デビュー年1950
プロフィール満州(現・中国東北部)生まれ。母とともに日本引き揚げ3歳からモダンダンス石井漠に学ぶ。映画『獅子の罠』でデビュー。以後名子役として『鞍馬天狗』をはじめ、80本の映画に主演雑誌少女』の表紙10年一人務める。また、童謡ポピュラー歌謡曲歌手としても活躍19歳ニューヨーク ザ・マスターズスクールに留学卒業後、マーサ・グラハム(モダンダンス)に入門しスカラシップ授かる帰国後、舞台・テレビ・ラジオ・講演など多方面活躍。特に語学力(英語)を活かした番組リポーターとして世界周り著名人交流深めている。(元・ソビエト連邦書記長 ゴルバチョフキム・フック、ファッマ・ロバクリストファー・リーブスなど)1996年、平和慰霊公苑を守る会会長就任1998年車いす青年からの一通の手紙がきっかけとなり出会った車いすダンス競技ライフワークとして活動2000年芸能生活50周年迎える。ライオンヒョウ襲われ第四頸椎粉砕骨折したが、奇跡的に障害が残らなかった経験踏まえ感謝の気持ち大切に打ち込んでいる。2013年TBSラジオ土曜ワイド永六輔・その新世界」』にレギュラー出演し、大きな話題を呼ぶTV・ラジオ出演・講演・歌など幅広く活躍している。
デビュー作映画『獅子の罠』
代表作品1NHK土曜ドラマ華族女たち」』
代表作品2年2006
代表作品2日本テレビプリマダム
代表作品3ラジオドラマNHK「あたいは眼だ」』(芸術祭優秀賞受賞
職種俳優・女優タレント
好きなスポーツスキューバーダイビング
趣味・特技読書/絵画/映画/スキューバーダイビング/タップダンス/モダンダンス/車いすダンス/英語での司会

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満州出身のタレント  松島トモ子

松島トモ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 20:14 UTC 版)

まつしま ともこ
松島 トモ子
浅草寺・浅草観音文化芸能人節分会にて(2016年(平成28年))
本名 松島 まつしま 奉子 ともこ
生年月日 (1945-07-10) 1945年7月10日(80歳)
出生地 満洲国奉天省
国籍 日本
職業 女優歌手タレント
活動期間 1949年(昭和24年) -
配偶者 独身
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松島 トモ子(まつしま ともこ、本名:松島 奉子[1](読みは同じ)、1945年昭和20年)7月10日 - )は、日本女優歌手タレント[2]。現在、毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクションと業務提携をしている。

1955年(昭和30年)

満洲国奉天(現・瀋陽市)生まれ[3]東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経てザ・マスターズ・ハイスクール英語版卒業。現在も東京都在住。

略歴

三井物産に勤める父の仕事の関係で満洲国に母と移住した後、1945年に松島が生まれた[3]。本名の奉子は生誕地の奉天に帰する。生後まもなく満洲国からの引き揚げを体験。

乳児期に「くる病」にかかって右脚が曲がり、脚の矯正のため[3]3歳から石井漠舞踊研究所に入門し、バレエを始める。

映画館の劇場ニュースにて、石井門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていたトモ子を阪東妻三郎スカウト[3]

1949年(昭和24年)、阪東が出演する東横映画『獅子の罠』に出演し、わずか4歳で芸能界デビュー[3]。このほか、嵐寛寿郎主演の時代劇『鞍馬天狗』(杉作)、大友柳太郎との『丹下左膳』(ちょび安)、江利チエミとの『サザエさん』(磯野ワカメ)など多くの映画に出演、80本の映画で主演を務めた[2][4]

歌手としても米山正夫門下となり、1953年(昭和28年)、コロムビアより「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」でデビュー。その後も、「三匹の子豚」(ディズニーの「狼なんか怖くない」のカバー)、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌挿入歌を吹き込んだ。

少女雑誌『少女』では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌『平凡』でも雑誌モデルを務めた。このように子役として活躍したが、当時松島母子の身近には子役活動に否定的な人がいたり、本人も食べていくために子役として活動していたなど複雑な思いもあったという[注釈 1]

映画『やがて青空』右端、松島(1955年)

大東学園高等学校在学中に渡米。ザ・マスターズ・ハイスクール英語版に2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金を貰い、研修し、帰国。

帰国後はミュージカルラジオパーソナリティ、CMでは江利チエミの後任として石垣食品ミネラル麦茶、『ひょっこりひょうたん島』の声優などで活躍を見せた。[5]

松島が70歳の時に母が認知症を発症し5年5カ月の介護生活を余儀なくされた[4]

エピソード

巣鴨プリズン慰問

1950年(昭和25年)11月19日、5歳の松島は舞踏の師匠石井漠らと共に、当時第二次世界大戦戦犯の収容施設であった巣鴨プリズンの鈴木英三郎所長から、収容所近くの米軍専用の劇場に招かれ慰問した。司会者が、三井物産タイハジャイ出張所所長であった松島の父・高橋健が奉天で召集をうけたのちシベリアに抑留され生死も不明で、松島は母と二人でかろうじて帰国したことを紹介すると、会場は静まり返った(後日、父はナホトカ郊外の収容所で1945年(昭和20年)10月29日に死亡していたことが判明)。続いて法被姿に鉢巻をしめ大きな目をした少女の松島が現れ、洋舞「かわいい魚屋さん」を踊った[3]。並んだ約1千名の戦犯らは涙を流して深く感動し、何度もアンコールし、彼女もそれに応えた。

2度の猛獣襲撃事故

1986年(昭和61年)の41歳の時に日本テレビTIME21』の撮影でケニアを訪れて、10日の間にライオンヒョウに立て続けに2度襲われ、帰国後にギプス姿で記者会見して話題になった[6]1月28日ジョイ・アダムソン(『野生のエルザ』の作者)の夫であるジョージ・アダムソンと共にナイロビコラ動物保護区英語版エルザの子孫でジョージによりラクダの肉で餌付けされ人に慣れた雌ばかり7頭らライオンの群れと接触し子ライオンと戯れていたところ、ジョージがキャンプとの無線で松島とライオン達から目を離した隙にその子ライオンの母親に襲われ、松島は宙に飛び10メートルほど引きずられサファリスーツはズタズタ、首や太腿に全治10日の怪我を負う[7](目を離していたジョージは耳が遠く助けに行くのが遅れた)。その際にジョージにより松島は助けられた。このとき周りには複数のライオンがいたが、攻撃を加えたのは一頭のみである。

10日の入院予定だったが3日で退院して仕事を再開[7]、再び別の動物保護区を訪れ、万全の態勢でロケに挑むが、10日後の2月7日に保護区のスタッフで責任者のトニー・フィッツジョン英語版と共にこの保護区で飼育されている雌ヒョウの「コムンユ」を見に、周りを高い柵で囲われた施設に行った。施設の外に出たところ、そのヒョウが夜陰に乗じて柵を跳び越えて待ち伏せており、迂闊にも目を合わせてしまった松島に体当たりで奇襲してきた。奇襲を受けて地に倒された松島はそのまま首を噛み付かれ、なおかつ持ち上げられた。このとき骨がガリガリと囓られる音が聞こえ[7]、「死んだ」と思ったという。これは、松島の隣にいたこのヒョウの飼い主のトニーが、松島と親しくしているように見えたためヒョウが嫉妬したと考えられている。また、松島の目が大きいのも襲われる理由だと後で言われた[7]

この後、松島は救助隊救急ヘリを要求したが、「夜間の飛行は危険」との理由で拒否されてしまう。結局、朝まで止血しながら耐える羽目になり、その後、朝になり救急ヘリが到着し、ようやく病院に運ばれ、第四頚椎粉砕骨折[注釈 2]という診断を受けたが、ヒョウの噛む位置があと1ミリずれていたら松島は間違いなく死んでいただろうとされる[7]。第四頚椎粉砕骨折は後遺症も無く生還するのが奇跡と言われており(高確率で死亡。良くても首から下が動かなくなる程の後遺症が残る)、松島の症例はニューヨークの学会で発表されたほどである[7][注釈 3]

ヒョウに襲われた後も撮影を続けて、2月17日に帰国、コルセットをつけて記者会見に臨み「それでも動物が好き」とコメントした[10]。このときに撮影された映像は3月31日に「それでも私はライオンが好き」と題して『TIME21』で放送された[11]

この事故が発生する前、1986年の元日に松島からアナウンサーの伊藤勉に送られてきた年賀状には、仕事でアフリカに行く予定である旨が書かれていると同時に、「ライオンに食べられないように祈って下さいませ。またお目にかかれますように」とも書かれていた。後年、この件について伊藤は「まさか本当にあんな事件が起こるとは思ってませんでしたから、笑って軽く読み流したんです。あの時は本当に私の祈りが足らなかったのではないかと悔やみました」と語った。一方、松島本人は、年賀状の効果はなかったのではないかと問われた際に「いいえ、ありましたよ。あれを書いていなかったら命があったかどうか。皆さんの祈りが通じて、噛まれただけですんだんだと思います」と返答している[7]

後年永六輔の番組にゲスト出演した際、永が「今日のスペシャルゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!」と松島を紹介、その時は驚きのあまりステージの袖で立ちすくんだものの観客は大受けし、松島自身もその後この「ライオンの餌」が気に入ったフレーズになっており、自身の公式ブログのタイトルにも用いられている[12]

その他

私生活では幼い頃から母親と支え合うように暮らしてきたため、周りから「一卵性母子」と呼ばれるほど仲が良かった[3]。また、長年に渡って家事全般は全て家政婦にしてもらっており、2021年に母を亡くしたことで77歳にして生まれて初めて一人暮らしとなったが、現在もお手伝いさんに週5日来てもらい家事をしてもらっている[3]

ある年の浅草寺の豆まきに陸上競技指導者の瀬古利彦と共にゲストに招かれ、これが縁で交流するようになった。瀬古の方が年下だが「お兄ちゃん」と呼び慕い、時々食事に行くなどしている[3]。瀬古からは「上品で独特の雰囲気がある人なんだけど、ふわふわとして何を喋りだすかわからない。目がものすごく大きいし、ちょっと宇宙人みたいな所がある人(笑)」と評されている[3]

主な出演

映画

『鞍馬天狗 御用盗異変』(1956) 左は嵐寛寿郎

ラジオドラマ

テレビドラマ

ラジオ

バラエティー

その他のバラエティー

CM

ラジオ

テレビアニメ

吹き替え

人形劇

舞台

  • 絵本昔話狐嫁入(1988年、劇団すぎのこ) - おこん(声の出演)[22]

著書

ディスコグラフィ

シングル

# 発売日 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1953年 A面 村の駅長さん 米山正夫 松尾健司 C-197
B面 風にゆれるレイの花 野村俊夫 米山正夫
2 1954年
3月
A面 ママの思い出 米山正夫 川上義彦 A-1907
B面 芝刈りローラーの歌
3 1954年
5月
A面 雨に唄えば 門田ゆたか N.H.Brown 馬渡誠一 JL-58
B面 三匹の子豚 F.Churchill 冨田勲
4 1954年
6月
A面 グッド・モーニング青い空 原六朗 松尾健司 C-256
B面 レモンと卵
5 A面 母恋人形 木下忠司 井桁三郎 A-2057
B面 母の呼ぶ声[注釈 4]
6 1954年
12月
A面 ニャンニャンワルツ 原六朗 C-297
B面 陽気な水兵さん 原六朗 松尾健司
7 1955年
2月
A面 ビルマに眠るお父さま 村越利一良 米山正夫 C-311
B面 仔馬の誕生日 米山正夫
8 1956年
9月
A面 トモ子の南極探検 中地清 原六朗 C-406
B面 私の日記帳 原六朗
9 B面
[注釈 5]
ワカメちゃん 原六朗 松尾健司 A-2612
10 1956年
12月
A面 お誕生日の歌 丘灯至夫 M.J.Hill
P.S.Hill
冨田勲 CP-21
B面 私の誕生日 冨田勲
11 1957年
3月
A面 悦ちゃん 原六朗 A-2718
B面 ママ
12 B面
[注釈 6]
夕焼がらす 石本美由起 上原げんと A-2726
13 1957年
5月
B面
[注釈 7]
潮来船 関沢新一 船村徹 福田正 A-2781
14 1957年
7月
A面 とも子の十手さん 久保清志 冨田勲 C-452
B面 とも子の子守歌
15 1957年
9月
B面
[注釈 8]
あんころ小坊主 加藤省吾 堀江貞一 C-466
16 1957年
10月
A面
[注釈 9]
ジングル・ベル 丘灯至夫 J.Pierpont 堀江貞一 C-473
17 1958年
1月
A面 パパ・ママ・ソング 獅子文六 原六朗 C-479
B面 赤い風船 松島トモ子
18 1958年
3月
A面 靴が鳴る 清水かつら 弘田龍太郎 堀江貞一 CP-73
B面 七つの子 野口雨情 本居長世
19 A面 はとぽっぽ 文部省唱歌 佐々木すぐる CP-74
B面 人形
20 A面 お猿のかごや 山上武夫 海沼實 CP-75
B面 汽車ぽっぽ 富原薫 草川信 海沼實
21 1958年
8月
A面
[注釈 10]
快傑黒頭巾 丘灯至夫 船村徹 A-3073
22 1958年
12月
A面 こだまの山 高田三九三 不詳 冨田勲 SC-1
B面 アルプスのふもと
23 1960年
4月
A面
[注釈 11]
赤い帽子白い帽子 武内俊子 河村光陽 海沼實 SC-28
24 1960年
9月
A面 ピンク・シュー・レーセス[注釈 12] 関沢新一 M.Grant 小林郁夫 SA-451
B面 スイート・ピーの嘆き 三浦康照 小林郁夫
25 1960年
12月
A面 夢のナポレターナ[注釈 13] みナみカズみ O.Gautschi
V.Panzuti
小林郁夫 SA-507
B面 パイナップル・プリンセス[注釈 14] Sherman
26 1961年
3月
A面 十五本のキャンドル 関沢新一 米山正夫 狛林正一 SA-544
B面 サンタルチャチャチャ みナみカズみ 小林郁夫
27 1961年
4月
B面
[注釈 15]
汽車ポッポのタンゴ[注釈 16] E.Lucchina 小林郁夫 SA-601
28 1961年
11月
A面 谷間の灯ともし頃 水島哲 J.Lyons
S.Hart
SA-741
B面 峠の我が家 アメリカ民謡
29 1961年
12月
A面 シンデレラ[注釈 17] 漣健児 P.Anka 小杉仁三 SA-782
B面 つめたい言葉[注釈 18] A.Schroeder
30 1962年
4月
A面
[注釈 19]
カッコーの森[注釈 20] C.Mario 小林郁夫 SA-853
31 1962年
5月
B面
[注釈 21]
若い風の歌 沖永良一 米山正夫 小杉仁三 SA-894
32 1962年
7月
A面
[注釈 22]
丘にのぼろう 関沢新一 服部克久 SA-913
33 1962年
11月
A面 眠りの森の物語 保富康午 福井利雄 SA-999
B面 七人のボーイフレンド
34 1962年
12月
A面
[注釈 23]
おもちゃのチャチャチャ 吉岡治 越部信義 BK-3001
35 1963年
1月
A面
[注釈 24]
シオジャケの歌 保富康午 岩河三郎 BK-3004
36 1963年
5月
A面 ティーンエイジ・ウェディング[注釈 25] 三浦康照 K.Twomey 小杉仁三 SAS-39
B面 夢のイタリア[注釈 26] ホセしばさき C.Bruhn
37 1963年
8月
B面
[注釈 27]
あしたの幸福 秀樹淳一朗 山路進一 SAS-92
38 1964年
5月
A面 それだけがおねがいなのママ サトウハチロー 宇野誠一郎 BK-3039
B面 ほんとかしら 宇野誠一郎 山屋清
39 1965年
8月
A面 ニューヨークひとりぼっち 三浦康照 山屋清 JPS-17
B面 恋の太陽 岩谷時子 高原哲 山屋清
40 1965年
11月
A面 チム・チム・チェリー 三浦康照 Sherman JPS-26
B面 2ペンスを鳩に
41 1966年
2月
A面 遥かなお父さま 三枝伸 森岡賢一郎 JPS-33
B面 真珠 三枝伸
42 1967年
12月
A面 ひとりで恋して 古野哲哉 鈴木征一 河村利夫 SAS-1004
B面 別れられなくなっちゃった 山本丈晴
43 1971年
2月
A面 コーヒーと仔犬 藤公之介 都倉俊一 馬飼野俊一 AS-1041
B面 独占 ひとりじめ
44 1971年
9月
A面 白い色が好きな娘 橋本淳 筒美京平 AS-1088
B面 バラひと枝と友だち二人
45 1972年
3月
A面 こどもの眼 阿久悠 森田公一 AS-1125
B面 明日の午後ならいいわ
46 1976年
12月
A面 ふるさとの四季 北原たけし 伊部晴美 DQ-1006
B面 なんだべ坂の七ふしぎ
47 1980年
2月25日
A面 ホアンホアンとカンカン 曽我部博士 岡本道夫 甲斐正人 RS-3001
B面 パンダのマーチ

デュエット・シングル

発売日 デュエット 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1954年
8月
吉利公男 A面 たん子たん吉珍道中 宮崎博史 冨田勲 C-270
- B面 たん子の馬子唄
(歌:松島トモ子)
米山正夫
1955年
5月
小畑やすし A面 赤いカンナの花咲けば 西條八十 古関裕而 A-2289
- B面 トモ子の花売娘
(歌:松島トモ子)
1956年
5月
青木光一 A面
[注釈 28]
潮来の兄妹 丘灯至夫 平川英夫 A-2527
中島孝 A面
[注釈 29]
杉作太鼓 石本美由起 万城目正 松尾健司 A-2568
1956年
11月
市村俊幸 A面
[注釈 30]
子ぶたのクリスマス 丘灯至夫 O.Haldeman 冨田勲 C-5007
1957年
3月
A面
[注釈 31]
親子花見おどり 岩河三郎 CP-56
1958年
6月
デン助 B面
[注釈 32]
トモ子とデン助 大宮敏充 木下忠司 CP-91
1960年
3月
高野政次 A面
[注釈 33]
とうといお子さま
お生れになった
西條八十 佐々木すぐる C-561

企画シングル

発売日 曲順 タイトル 作詞 作曲 規格品番
1957年 B面
[注釈 34]
てっちゃんの歌 宮崎博史 冨田勲 M2245
1957年 B面
[注釈 35]
てっちゃんの歌 宮崎博史 冨田勲 M2246

アルバム

発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番
1958年8月 トモ子ちゃんの童謡集 コロムビア LP KK-53
1976年10月 家をでるとき ポリドール MR-3018
1987年5月1日 心に残る うたの贈りもの 東芝EMI TP-80203
CD CA30-1420
2014年5月21日 決定盤 松島トモ子大全集 コロムビア COCP-38509〜10

タイアップ曲

楽曲 タイアップ
1954年 ママの思い出 映画『花祭底抜け千一夜』主題歌
母恋人形 映画『母恋人形』主題歌
1955年 赤いカンナの花咲けば 映画『赤いカンナの花咲けば』主題歌
杉作太鼓 映画『鞍馬天狗』主題歌
1956年 ワカメちゃん 映画『サザエさん』劇中歌
1957年 夕焼けがらす 映画『こけし子守唄』主題歌
潮来船 映画『船頭姉妹』主題歌
てっちゃんの歌 かねてつ蒲鉾(現:カネテツデリカフーズ)CMソング
1958年 こだまの山 映画『アルプスの少女』主題歌
アルプスのふもと
快傑黒頭巾 映画『快傑黒頭巾』主題歌
1965年 チム・チム・チェリー 映画『メリー・ポピンズ』主題歌
2ペンスを鳩に
1976年 ふるさとの四季 東京12チャンネル系アニメ『まんがふるさと昔話』オープニングテーマ
なんだべ坂の七ふしぎ 東京12チャンネル系アニメ『まんがふるさと昔話』エンディングテーマ

脚注

出典

  1. ^ 『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月、268頁。 ISBN 4-415-00878-X 
  2. ^ a b c 松島トモ子とはコトバンク
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『週刊女性』2024年7月9日号.
  4. ^ a b 「胡蝶蘭のウエディングドレス」女優・松島トモ子さん【インタビュー前編】〜日々摘花 第48回〜”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2024年6月21日). 2024年6月27日閲覧。
  5. ^ 徹子の部屋
  6. ^ 「芸能・ゴシップ」『噂の真相』1986年4月号、p.96
  7. ^ a b c d e f g フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。 
  8. ^ 松島トモ子『母と娘の旅路』文藝春秋、1993年2月1日、239頁。 ISBN 4163472606 
  9. ^ 「咬創による頚椎椎弓粉砕骨折の1例」『関東整形災害外科学会雑誌』第17巻第5号、関東整形災害外科学会、1986年10月、[要ページ番号]国立国会図書館サーチR100000002-I000000035536-i6372911 
  10. ^ ナンシー関『何の因果で』角川文庫、1999年、p.139
  11. ^ 松島トモ子プロフィール 講演依頼.com|講演会の講師紹介
  12. ^ 松島トモ子「ライオンの餌」と紹介され…「フリーズして動けなかった」,スポーツニッポン,2022年6月3日
  13. ^ 安寿と厨子王丸”. メディア芸術データベース. 2016年10月29日閲覧。
  14. ^ 松島トモ子主演のサメ映画「松島トモ子 サメ遊戯」の製作・配給が決定”. 東京スポーツ (2023年12月15日). 2024年9月13日閲覧。
  15. ^ 『松島トモ子 サメ遊戯』国内最速上映ジャパンプレミアも!!! サメあがりの朝焼けの空に君はなにを見るー。 オールナイトSHOW「福山国産サメ映画まつり2024」開鮫♡”. フクヤマアニメ7 (2024年8月16日). 2024年9月13日閲覧。
  16. ^ 【マンガ探偵局がゆく】松島トモ子起用ラジオドラマの原作 少女と犬の放浪旅を描いた、山田えいじ「ペスよおをふれ」”. zakzak. 夕刊フジ (2021年3月20日). 2021年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月5日閲覧。
  17. ^ バルコの空想手帖”. テレビドラマデータベース. Furusaki Yasunari. 2021年1月18日閲覧。
  18. ^ 悦ちゃん(1)”. テレビドラマデータベース. 獅子文六アワー. Furusaki Yasunari. 2021年1月18日閲覧。
  19. ^ おまわりさん、敬礼!”. テレビドラマデータベース. Furusaki Yasunari. 2021年1月17日閲覧。
  20. ^ 松島トモ子の「ライオン事件」 本当の本当の真相とは!?”. TBSラジオ (2017年10月19日). 2017年10月19日閲覧。
  21. ^ 毎日新聞毎日新聞社。1976年12月31日・(東京)朝刊 同日付の朝刊テレビ欄より。16頁。
  22. ^ 『芸能』9月号、芸能学会、1988年、34頁。 

注釈

  1. ^ 本人によると、「今なら売れっ子子役として周りから羨望の的になったでしょうが当時の私は違いました。女性の社会進出が少ない時代でしたし、親戚から『子役になるなんて、かわいそうに』と泣かれたり、母は他の人からも『小さい女の子を働かせるなんて』と言われることもありました。でもしょうがないですよ、当時父はシベリアで生死不明の状態だったし、子役をやってでも食べていくしかなかった」と述懐している[3]
  2. ^ 正式には「第四頚椎棘突起及び椎弓粉砕骨折」である[8]
  3. ^ 日本では、1986年(昭和61年)4月26日に開催された第494回関東整形災害外科学会月例会において、主治医の林良彦(昭和大学病院整形外科)らによる症例報告が行われた[9]
  4. ^ デュエット:小島秀人。
  5. ^ A面は泉友子の「サザエさん」。
  6. ^ A面は君和田民枝の「こけし子守唄」。
  7. ^ A面は君和田民枝の「船頭姉妹」。
  8. ^ A面は羽崎共子の「官女の舞」。
  9. ^ B面は渡辺敏子の「金と銀のクリスマス」。
  10. ^ B面は伊丹章子の「父恋い角兵衛獅子」。
  11. ^ B面は久保木幸子の「かもめの水兵さん」。
  12. ^ ドディ・スティーブンスのカバー。
  13. ^ マリノ・マリーニのカバー。
  14. ^ アネットのカバー。
  15. ^ A面はスリー・グレイセスの「月影のマジョリカ」。
  16. ^ エドアルド・ルキーナの「Arizona Express」のカバー。
  17. ^ ポール・アンカの「Cinderella」のカバー。
  18. ^ モーリン・エヴァンスの「We Had Words」のカバー。
  19. ^ B面は丘優子の「ロミオ」。
  20. ^ 原題は「Cuckoo Time」。
  21. ^ A面は井上ひろしの「旅のハミング」。
  22. ^ B面はトミー藤山の「帽子とそよ風」。
  23. ^ B面は真理ヨシコの「チューリップ畠のベンチ」。
  24. ^ B面は真理ヨシコの「春風はもういない」。
  25. ^ アネットの「Teenage Wedding」のカバー。
  26. ^ コーネリア・フロベスのカバー。
  27. ^ A面は飯田久彦の「幸せをつかもう」。
  28. ^ B面は島倉千代子の「あやめ月夜」。
  29. ^ B面は中島孝の「御存じ鞍馬天狗」。
  30. ^ B面は安田祥子の「さあ行こうクリスマス」。
  31. ^ B面は伴久美子の「花笠おどり」。
  32. ^ A面はデン助の「デン助さん」。
  33. ^ B面は高橋順子、川田孝子の「かわいい赤ちゃんお生れになった」。
  34. ^ A面は楠トシエの「かねてつ音頭」。
  35. ^ A面は東唱コーラスの「我が家は楽し」。

参考文献

  • 「人間ドキュメント「敗戦日本を元気にしてきたザ・昭和スター〜松島トモ子」『週刊女性』2024年7月9日号、主婦と生活社、2024年6月25日、36-42頁、 JAN 4910203620744 

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