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日本テレビ放送網
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日本テレビ放送網株式会社(にほんテレビほうそうもう、英: Nippon Television Network Corporation)は、日本テレビホールディングスの連結子会社で、関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者。日本国内で最初に開局した民放テレビ局で、日本の民放テレビ局においては歴史が最も古い。一般的には日本テレビ(にほんテレビ)又は日テレ(ニッテレ)と呼ばれる。
注釈
- ^ 「日テレ」の略称はそれ以前から内部的に使われており、各局の番組で出演者が日本テレビを指す言葉の中に「日テレ」を使うこともあった。しかし、ベテラン社員の中ではキャンペーンコピーに使われるまで「蔑称」という認識があったという。対外向けへ公式に「日テレ」を使うようになったのはこの頃からである。
- ^ 2003年10月1日より。それまでは「ANB」が使用されていた。
- ^ NHKは「NHK(放送局名)(きょういく)(デジタル)テレビジョン」、TNCは「TNCふくおか(orきたきゅうしゅう)テレビジョン」→「テレビにしにっぽんデジタルテレビジョン」。
- ^ 約50年前に制作されたPRソング「日本テレビの唄」(モノクロ、カラー版あり)では歌詞に「日本テレビ」が多数出てくるが、全ての読み方が「にほんテレビ」であった。また、曲名の読み方が「にほんテレビのうた」であり、昔から使われていたことがわかる。
- ^ 余談だが、親会社の日本テレビホールディングスは、初代日本テレビ放送網から社名変更する際、「二ホンテレビホールディングス」と名乗っており、読みは最初から「二ホンテレビ」となっている。
- ^ a b カール・ムント米上院議員は、「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」構想を打ちたて、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」である。ムントはCIAに正力松太郎を推薦した。正力松太郎は、1951年、大蔵大臣だった池田勇人を説得、さらに朝日新聞の村山長挙、毎日新聞の本田親男に働きかけ、3社でテレビ事業を行う約束を取り付ける。正力の仕掛けた3大紙協力体制のもと、「受信機も無い時代に民放テレビは時期尚早」と反対する吉田茂総理の説得に成功する(ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー』 講談社 2010年 ISBN 978-4-06-216124-4, Page238, 241)
- ^ その関係で、船橋競馬場では、社盃である「日本テレビ盃」が、9月下旬から10月上旬に開催されている。ダートグレード競走特集 - 船橋競馬場ホームページ
- ^ 此の時の開票速報の放送時間は投票日当日の午後9時25分から午後11時30分までと、投票日翌日の午前8時から午後6時まで。票数と当確・当選は新聞大手3社からの情報を基にして行われ、スタジオに用意された手書きの候補者名札とハンコで押した候補者得票数が張られたボードをテレビカメラで撮影して行った。
- ^ 値段は当時で約3千数百万円であった。
- ^ なお、毎日放送(MBS)のアナログ放送チャンネルおよびデジタル放送のチャンネルは日本テレビと同じ「4」だが、この当時のMBSは日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)系列だった。
- ^ これを受け、「歌のグランプリショー」と「底ぬけ脱線ゲーム」は、同月11日放送分からカラー化されている。
- ^ RKB毎日放送もアナログ放送および地上デジタル放送のチャンネルは日本テレビ同様「4」だが、RKBはTBS系列である。
- ^ 日本テレビは同年6月30日と7月1日の2公演分をカラーVTRにて収録している。その経緯については、「ビートルズ#日本公演」を参照のこと。
- ^ 日本テレビは当時、この映画をテレビにて放映するために、放送権を6億円で購入したとされる(引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁に記載されている。ISBN 4-06-212222-7)。
- ^ 製作著作クレジットでは背景の格子模様が無いことも多かった。これと併用して関東ローカルなどではブラウン管を象った枠の中にチャンネルナンバーの「4」をモチーフにしたものが入ったロゴマークと社名ロゴタイプの組み合わせもシンボルマーク登場以前から使われていた。こちらも「なんだろう」の登場を機に廃止している。
- ^ ●の体に黒色●の線で縁取りしたものが使われていたが、2003年 7月に新ブランドマークが導入され、現在は体を塗りつぶさず、線を金色●で縁取りしたものとなっている。現在このブランドマークは日本テレビのほか、グループ会社のBS日テレ、CS日本、RFラジオ日本、日テレ・グループ・ホールディングス、日テレイベンツ、日本テレビアートなどでも使用されている。 当初は緑色
- ^ 理由は不明。
- ^ 青森放送で当時放送されていた「ZIP!FRIDAY」の最後に流れる翌週月曜日の「ZIP!」の予告でのロゴは、※2019年時点でもこのロゴが使われた。また、ジャイアンツ球場のレフトポール際のフェンスに描かれているロゴも、※2021年9月時点で、このロゴである。
- ^ ただし、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記[要出典]。また、番組キャラクター・グッズ商品の承認済シールに貼られている「NTV」は従来から使用している開局当時のロゴ(File:Nippon TV logo (NTV).svg)を表記している。
- ^ CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作『日テレ(ロゴ)』」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。『ぐるぐるナインティナイン』、『あなたと日テレ』などごく一部の番組は「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」の表記が残っていたが、後述の「日テレ55」表記化に伴って現在は完全消滅した。また、番組表など業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。なお、2008年1月1日から「なんだろう」が消滅し「日テレ55」のクレジット表記(ロゴの色は「日テレ」部分は青、「55」部分は黒)に変更された。これは、2008年8月28日に開局満55周年を迎えるためで、2009年3月までの限定使用となった。ただし、東京ドームにある第2放送席の背後に書かれているロゴは、前代のロゴのままである。※2008年8月26日の野球中継放送で確認済み。また、読売ジャイアンツ球場のレフトフェンスに書かれているロゴも、前代のままである。※日テレG+で中継された、2014年の巨人イースタン中継から
- ^ 汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンであったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ(麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化)、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された。
- ^ 最初の生放送番組は、午前6時45分の「NNNニュースサンデー」。
- ^ なお、このバージョンも2013年12月31日をもって使用を終了している。
- ^ この試合は、地上波の日本テレビ及びネット局、BSデジタルのBS日テレ、CS放送の日テレG+でも放送されたが、それらでは通常の2Dでの放送であった。なお、この3D中継に於いては、3D中継専用の中継車・専用カメラを5台手配し、実況・解説等のコメンタリーおよび画面表示もそれ専用とする等の特別体制で実施した。
- ^ なお、BS日テレとCS放送の日テレG+、日テレプラスではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。しかし『24時間テレビ』内のドラマ企画はモノラル二重音声放送のままであったが、2017年よりステレオ二重音声放送に変わった。
- ^ ※一部企業を除く
- ^ 読売テレビは翌2021年4月1日から
- ^ 日本テレビ以外に「放送網」の字が入る放送事業者は、系列局のテレビ新潟放送網とケーブルテレビ局の香川テレビ放送網程度。
- ^ 放送収入がフジテレビの2013年度:233,316百万円→2014年度:231,121百万円に対し、日本テレビは2013年度:228,014百万円→2014年度:238,511百万円となり逆転した。
- ^ 年間売上高がフジテレビの2014年度:310,012百万円→2015年度:289,708百万円に対し、日本テレビは2014年度:290,460百万円→2015年度:307,077百万円となり逆転した。
- ^ このキャンペーンは後に毎年3月8日の「国際女性デー」前後に「#自分のカラダだから」として、日本テレビ以外の在京民放キー局4局並びに東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)も参加している。
- ^ 日本テレビ担当分は、NNS系列局にもネットした。
- ^ 例外として、『アーヤと魔女』は日本放送協会(NHK)にて放映した。これはNHKとその子会社であるNHKエンタープライズ(NEP)が同作品の製作に携わっているため[130]。
- ^ かつては土曜12時台や平日16時台に再放送枠を設けていた。
- ^ 『ザ!鉄腕!DASH!!』の正月特別番組である『ウルトラマンDASH』の1コーナー。
- ^ 後にフジテレビでも実施しているが日本テレビが業界初。他にも東京都交通局運営の都営地下鉄、日暮里・舎人ライナーの時刻表、都営バスの時刻表や接近情報も表示している。情報提供元はジェイアール東日本企画である。私鉄・地下鉄はレスキューナウが担当。
- ^ 中国本土を除く。
- ^ 設置当初は、読売テレビ本社(当時は大阪市北区岩井町)内に支社(当時は大阪支社)が置かれていた。(出典:『民間放送十年史』第2部の各社史録378頁「日本テレビ放送網」)
- ^ 1995年まではゴールデンタイムでの全国中継も実施していた。
- ^ 同大会の事実上の前身で1981年から2004年まで日本で開催していたトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ(トヨタカップ)から放映権を保持している。
- ^ NHK・J SPORTSと共同で放映権を獲得。
- ^ テレビ朝日と共同で放映権を獲得。
- ^ 1993年開始の『ザ・ワイド』(日本テレビ・よみうりテレビ共同制作、2004年度よりよみうりテレビ(→読売テレビ)・日本テレビ共同制作)が最初となる。
- ^ 第1シリーズである『あぶない刑事』は日曜21時枠で放送。
- ^ 2020年1月期及び10月期、2021年以降は毎年7月期に読売テレビが制作を担当している。
- ^ 過去には大阪の読売テレビ製作のシリーズ(第1・3シリーズ)も存在したが、一般的には日本テレビの製作番組として扱われており、後のスペシャル版は一部を除きすべて日本テレビが製作を担当する。 日本テレビ開局55周年・読売テレビ開局50周年記念番組として両局の共同製作で放送された『ルパン三世VS名探偵コナン』では、『ルパン三世』は日本テレビ側の、『名探偵コナン』は読売テレビ側の番組として扱われていた。
- ^ 日テレNEWS24(CS)制作の番組。
- ^ 月 - 金曜版は日テレNEWS24制作(CS)の番組。
- ^ 調布市議時代は自民党に所属。参議院議員当選時はみんなの党に所属し、2022年に立憲民主党で任期を終えた。
- ^ 開始当初はテレビシリーズの制作局である大阪の読売テレビのみが制作に参加していたが、2002年から日本テレビも制作に参加するようになった。
- ^ 青森放送など一部系列局でも使われた。
- ^ この代からCMの最後3秒に番組出演者や映画キャストがフレーズを言うようになった(途中で廃止され、2020年現在はその前の12秒とは別の番宣を3秒入れている)。
- ^ CMの最後5秒に番組出演者や映画キャストが「〇〇も日テレ営業中!」とフレーズを言っていた。これを生かして『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』で浜田雅功が罰ゲームを行ったことがある。
- ^ 現・国立競技場着工時から2020東京オリンピック・パラリンピック終了まで
- ^ 旧ザ・ホテルヨコハマ→ザ・ヨコハマノボテル
出典
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- ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.170
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- ^ ニッテレ・サービサー よくあるご質問
- ^ a b c アナアナ変更実施前は25ch
- ^ a b アナアナ変更実施前は53ch
- ^ アナアナ変更実施前は26ch
- ^ a b 日テレNEWSのYouTubeにて、当所からの映像が配信されている。
- ^ 日テレNEWSのYouTubeにて、2021年7月ごろより当所からの映像が配信されている。
- ^ 不定期に、日テレNEWSのYouTubeにて、当所からの映像が配信されることがある。
- ^ 今年も設置完了!屋上からの紅葉がテレビでも見れちゃう! | 水上高原のゆかいな仲間たち
日本テレビ(アナウンサー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:20 UTC 版)
「岩本乃蒼」の記事における「日本テレビ(アナウンサー)」の解説
太字は、出演中 ZIP!(2014年6月30日 - 2015年3月27日) - 4代目お天気キャスター メレンゲの気持ち(2014年8月2日 - 2016年) - コーナー出演 SENSORS(2014年10月5日 - 2016年3月) - SENSORS BLUEナビゲーター きょうは会社休みます。 最終回(2014年12月17日) - 帝江物産OL 役 スッキリ!!(2015年3月30日 - 2017年9月29日) - サブ司会 火曜サプライズ(2015年7月 - 2018年9月) - スタジオ出演 チカラウタ(2015年10月18日 - 2017年12月24日) - コンシェルジュ NEWS ZERO → news zero(2017年10月2日 - ) - 水~金曜サブキャスター(主に隔週金曜など有働由美子不在時はメインキャスターも務める) ZERO×選挙(2017年10月22日 - ) - 開票速報担当 キューピー3分クッキング(2020年4月13日 - ) - アシスタント アナザースカイ(2021年4月29日 - 2021年7月) - 女性MC いざわ・ふくらの解けば解くほど賢くなるクイズ(2020年11月22日、2021年2月21日、4月30日) - 番組進行役 news every.(2021年12月28日 - ) - 年末年始メインキャスター
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「日本テレビ(アナウンサー)」を含む「岩本乃蒼」の記事については、「岩本乃蒼」の概要を参照ください。
日本テレビ (NNN)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:58 UTC 版)
「日本航空123便墜落事故」の記事における「日本テレビ (NNN)」の解説
19時30分ごろ、『大きなお世話だ!』の冒頭にてニュース速報(テロップ)で第一報を伝えたのち、20時からの『ザ・トップテン』の放送中に当時同局アナウンサーの小林完吾が随時最新情報を伝えた。20時55分からの『NNNニューススポット』、22時からの『やす・きよのスター爆笑Q&A』を休止して『NNN報道スペシャル』で続報を伝え、23時の『NNNきょうの出来事』以降、事故関連ニュースを終夜放送した。
※この「日本テレビ (NNN)」の解説は、「日本航空123便墜落事故」の解説の一部です。
「日本テレビ (NNN)」を含む「日本航空123便墜落事故」の記事については、「日本航空123便墜落事故」の概要を参照ください。
「日本テレビ」の例文・使い方・用例・文例
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