TVRI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/05/14 00:25 UTC 版)
| |
|
|
種類
|
公共放送機関 |
|---|---|
| 業種 | 公共テレビネットワーク |
| 設立 | 1962年8月24日 |
| 本社 |
、
インドネシア
|
|
事業地域
|
|
|
主要人物
|
|
| 製品 | |
| サービス | サービスを参照 |
|
従業員数
|
4,375人(2025年2月24日時点)[1]。 |
| ウェブサイト | tvri |
TVRI(インドネシア公共放送、インドネシア語: Televisi Republik Indonesia)は、インドネシアにおける全国規模のテレビネットワーク型公共放送である。TVRIは公共放送機関として、インドネシア公共ラジオ(RRI)とともに位置づけられており、放送法によって規定されている。TVRIはインドネシアで最初のテレビネットワークであり、1962年8月24日に放送を開始し、この日は「国家テレビの日」として記念されている。
TVRIは現在、インドネシア全域において放送を行っており、3つの全国向けテレビチャンネルおよび35の地方テレビ局を運営している。また、全国に361の送信所(うち129はデジタル送信所)を有している[2]。従来のテレビ放送に加えて、TVRIの番組は公式サイトでのストリーミング配信、アプリケーション「TVRI Klik」、およびその他のOTTサービスを通じても視聴可能である。
2021年にオックスフォード大学およびロイター・ジャーナリズム研究所(Reuters Institute for the Study of Journalism)が発表した報告によれば、TVRIはインドネシアにおいて最も信頼されているメディアの一つであり、選定された14媒体の中に含まれている。この報告では、TVRIの信頼度スコアは66%であった[3]。
歴史
1961年–1962年:構想・発案と試験放送
TVRIの誕生において切り離せない人物は、元RRIアナウンサーであるマラディである。彼は1955年、インドネシアにテレビ局を設立する構想を最初に提案し、同年に実施予定であった初の総選挙における政府の広報支援を目的としていた。当時、スカルノ大統領はこの提案に関心を示したが、当時のアリ・サストロアミジョヨ第1内閣は費用が高すぎるとしてこれを拒否した。
その後、マラディは1959年に情報大臣に就任し、再びスカルノに提案を行った(この時期は指導される民主主義期であり、スカルノは権力を掌握していた)。彼は、1962年の第4回アジア競技大会の開催国に選ばれたことを契機に、テレビはスポーツ中継を通じて国民統合を促進する手段になり得ると主張した。提案は徐々に支持を得て、1960年には暫定人民協議会が決議第II/MPRS/1960号を採択し、大学を拠点とする教育テレビの設立を推進した。
1961年、インドネシア政府はテレビ事業をアジア競技大会第4回大会の建設計画に組み込み、アジア競技大会第4回プロジェクト司令部の下で推進することを決定した。1961年7月25日、情報大臣はテレビ準備委員会設立の大臣決定第20/SK/M/1961号を発出した。この委員会は国立映画局長R.M.スータルトが議長を務め、副議長R.M.スナルジョおよび7名の委員とともに、情報省と連携してテレビ放送準備を進めた。さらにテレビ技術習得のため、スータルトはニューヨークおよびアトランタ、アメリカ合衆国へ派遣された。
1961年10月23日午前9時30分、オーストリアのウィーンに滞在していたスカルノはマラディへテレックスを送り、以下の目標でテレビ計画の準備を指示した。
- セナヤンの旧AKPEN(アカデミー・ペネルガン)跡地にスタジオを建設(現在のTVRI本部)。ゲロラ・ブン・カルノ競技場(インドネシア語: Gelanggang Olahraga Bung Karno)に近接しているためである。
- 出力100Wおよび10kWの2基の送信機と高さ80メートルの塔を建設。
- 番組と人材(ソフトウェア)を準備。機材は日本のNECが供給し、シーメンス(西ドイツ)、RCA(米国)、マルコーニ(英国)との競争を経て選定された。またNHKも技術支援と人材育成に関与した。
1962年8月17日、TVRIは独立記念日の式典をジャカルタのムルデカ宮殿から白黒で試験放送した。施設は1年未満で完成し、1962年8月23日に正式に開所した。
1962年–1975年:初期放送と財団体制
1962年8月24日、TVRIはゲロラ・ブン・カルノ主競技場から第4回アジア競技大会開会式を生中継し、本放送を開始した。これによりインドネシアは、日本、フィリピン、タイ、中国、韓国に続きテレビ放送を有するアジアの国の一つとなったが、当時のテレビ受像機は約1万〜1万5千台に過ぎず、視聴可能人口は約2%であった。
当初TVRIは大会組織委員会の一部として運営され、その後は1962年大統領令第318号によりブン・カルノ財団の管轄下に移行した。1963年10月20日、大統領令第215号によりTVRI財団が設立され、TVRIは独立機関となった。この体制は1975年まで続いた。
しかし、大統領を頂点とする財団体制は放送の独立性を制約し、後の新秩序期末期まで影響を及ぼした。番組は国家理念であるパンチャシラや1945年憲法の普及を目的とし、政府政策の伝達媒体として機能した。
1963年時点で職員は100人であり、報道部門も同年設立された。資金は国家予算(1966年以降)、広告(1963年3月開始)、テレビ受信料(1963年末開始)、スポンサーから調達された。
1965年以降、地方局の整備が進められ、ジョグジャカルタ、メダン、ウジュン・パンダン(現マカッサル)、スラバヤ、デンパサール、マナド、バンドン、サマリンダなどに順次設立された。
1975年–1998年:組織再編、拡張と衰退
1975年、情報大臣決定によりTVRIは情報省の一部門(ディレクトラート)に編入され、官僚的運営が強化された。1980年には全職員が国家公務員に移行した。
1977年以降、移動制作拠点が各州都に設置され、放送網は拡大した。1991年には人口の65%が視聴可能となった。
1981年、スハルト大統領の決定により広告放送が廃止された。これは財政に大きな打撃を与えたが、消費主義抑制や政府統制強化など複数の要因が指摘されている。その後はスポンサー番組などで補完が図られた。
1983年、第二チャンネル(後のTVRIジャカルタ)が開設され、英語ニュース番組「English News Service」が放送された。
1989年、民間テレビの参入により独占体制は崩れたが、ニュース制作は依然としてTVRIに限定され、民放はニュース番組のリレー放送や収益の一部納付を義務付けられた。
しかし1980年代以降、資金不足と内容の硬直化により視聴者離れが進行した。外国放送やビデオメディアの普及、通信衛星パラパの導入、民間テレビの台頭により、1990年代には視聴率は約6%にまで低下した。
TVRIは政府の情報伝達機関として機能する一方で、編集の独立性を欠き、創造性や生産性の低下を招いた。この状況は1998年の新秩序崩壊まで続いた。
1998年–2006年:再編
新秩序期崩壊後の時期は、TVRIにとって大きな機会と課題を同時にもたらした。一方でTVRIは、政府の「プロパガンダの機関/代弁者」としての地位から離脱し、運営を公共放送へと方向転換し始めた[4]。しかし他方で、この変化は約7年にわたる不確実性も招き、1997年アジア金融危機の影響による財政問題も加わり、状況は複雑であった。この問題の一因は、1999年にインドネシア情報省が廃止されたことである。これは報道の自由の確立を目的としていたが、同省の下にあったTVRIの地位を不明確にする結果となった。大統領令第153号(1999年)により国家情報通信庁(BIKN)が設置されたが、TVRIの帰属は明示されなかった。そのためTVRIは一時的にインドネシア財務省の下に置かれ、国家公務員庁、ラジオ局総局などと連携しながら、職員管理と予算の継続性を維持した[5]
その後TVRIは、1999年12月12日より公営企業への移行期に入ったが、放送自体には大きな支障はなかった[5]。2000年6月7日、政令第36号(2000年)の施行により正式にPerjanの地位が付与され、1963年以来の財団形態に代わることとなった。この規定では、TVRIは公共テレビとしての原則、すなわち独立性・中立性・自律性・公共利益志向に基づくものとされた[6][7]。Perjan形態が選ばれたのは、TVRIの財政的自立が不十分であり(依然として国家予算に依存)、資産整理も未完了であったためである。将来的には株式会社化への準備が期待されていた政府はまた、戦略的投資家の参入も検討していた[4]2001年10月には政令第64号(2001年)が公布され、組織面では国有企業省、財務面では財務省の監督下に置かれた[6]。
約2年後の2002年4月17日、政令第9号(2002年)によりTVRIはTVRI株式会社(Persero)へと転換された[6]この体制のもと、経営・組織・人材・財務の各分野での再建が求められ、特に人員整理や外部専門人材の登用が期待された。
しかしPT化により広告受け入れが再開されたにもかかわらず、状況は改善しなかった。2002〜2003年当時、独自収入が乏しい中で自立経営を求められ、広告収入も伸びず財政は逼迫した。政府からの予算も申請額の約10分の1にとどまった。さらに、当時の社長スミタ・トビンと国民協議会の対立、民放との収益分配問題、汚職疑惑、政治介入などが重なり混乱が深まった。一部地方局では放送停止も発生した。加えて、株式会社化初期には定款や公証書が未整備という不完全な移行であった。2003年4月15日に正式に株式会社としての体制が整い、その後徐々に改善が図られた。
技術面ではこの時期、従来のVHFに加えUHFによる放送が導入され、バンドンとスラバヤを皮切りに拡大した。ジャカルタでは2002年5月18日に正式開始された。また2003年5月20日には、停止していた送信設備を含む全395基の送信所が再稼働した。
2002年放送法(法律第32号)により、TVRIは独立した公共放送機関と規定され、3年間の移行期間が設けられた。この期間に外部提携や収入源の多様化、職員の専門性向上が求められた。2005年政令第13号により制度が補強され、2006年8月24日、創立44周年の日に正式に公共放送機関となり、1999年以来の地位問題は解決した。
2006年–2019年:近代化と放送の高度化への取り組み
政府によるインドネシアのデジタルテレビ導入計画に伴い、TVRIは2010年12月21日にデジタル放送を開始した。初期のサービス提供地域はジャカルタ、スラバヤ、バタムであった。同時に、インドネシア初の地上デジタルチャンネルとしてTVRI 3(現TVRI World)およびTVRI 4(現TVRI Sport)の2チャンネルを開設した。開局式にはユドヨノ大統領および通信情報大臣が出席した。
しかしながら、2010年代半ばまでのTVRIは停滞状態にあり、事実上「存続はしているが活力に乏しい」状況に置かれていた[8]。 指導部の頻繁な交代や国会(DPR)による解任、民間テレビ局に対する競争力の低下に加え、2013年の民主党関連番組の放送などの論争、内部対立、複数回にわたる汚職疑惑が重なった[9]。
こうした状況は内部・外部双方の要因によるとされる。内部的には、TVRIの公務員数が民間テレビ局と比較して過大であり、かつ高齢化が進行していたこと、非効率的な経費支出、老朽化した放送設備が問題となっていた。一方で政府側も十分な支援を行っていたとは言い難く、年間予算は1兆ルピア未満に抑えられ(例としてBBCやNHKと比較して大幅に低水準)、人事の自主性が制限され、経営幹部の選定に政治的配慮が強く影響していた。その結果、2013年から2017年にかけてTVRIはBadan Pemeriksa Keuangan(BPK)から「免責意見(ディスクレーマー)」を受けるに至った[10][11]。
2017年には「クイズ王」として知られるヘルミー・ヤハヤが社長に就任し、任期満了となったイスカンダル・アーマッドの後任となった。また、元コンパスTV番組ディレクターのアプニ・ジャヤ・プトラが編成担当ディレクターに就任した。両者の体制下でTVRIは番組内容と放送編成の大幅な刷新に着手し、若年層の視聴者獲得と現代的なイメージへの転換を目指した[12]。
さらに、旧来の印象を払拭するため、2019年3月29日20時20分(WIB)にジャカルタのTVRI講堂で開催されたコンサート番組「Konser Musik: Menggapai Dunia」の最中に、TVRIおよび29の地方局のロゴが8度目の刷新を受けた[13]。
もっとも、視聴率を重視する方針は論争を招き、公共放送は視聴率を追求すべきではないとする一般的認識との乖離から、最終的に両名は解任された[14][15]。 ただし、その在任期間中、TVRIはBPKから「無限定適正意見(WTP)」を獲得し、この評価はその後も維持された[16]。
2019年8月には、TVRIは民間テレビ局MetroTVおよびTrans7、さらにインドネシア通信情報省と共同で、北カリマンタン州ヌヌカン県において国境地域向けデジタルテレビ放送を正式に開始した。これは全国的な高品質放送の実現と、アナログ停波への移行準備を目的としていた[17]。
また、2010年代以降、TVRIと同じ公共放送機関であるRRIとの統合により、インドネシア共和国ラジオ・テレビ公共放送機構を設立する構想も提案されている[18]。
2020年–現在:ポスト・ヘルミー・ヤヒヤ期
ヘルミー・ヤハヤ退任後、TVRIの改革は継続されず、視聴者からの存在感は再び低下した。デジタル化への対応の遅れも指摘され、財政面でも政府依存が続いている。収益多角化の試みも十分な成果を上げておらず、複数チャンネルおよび地方局の運営負担が重くのしかかっている[19][20]。
一方で社長のイマン・ブロトセノは、設備の近代化や人材育成、フランス政府との協力によるデジタル放送システム導入を通じて、TVRIを「世界水準の公共放送」に発展させる方針を示している[21]。
2025年初頭、プラボウォ政権が打ち出した大統領令第1号2025年による緊縮財政政策の影響を受け、TVRIの予算は大幅に削減された。当初は1兆5200億ルピアから7320億ルピア(44%)削減されたが、その後補填され最終的には1兆600億ルピアとなった[22][23]。
この影響により、TVRIは番組制作の一時停止(16番組)、送信時間の短縮、講堂利用停止、出張削減、新規地方局計画の中止などのコスト削減策を実施した[19] また、一部では非正規職員の削減計画が社会的議論を呼んだが、国会との協議の結果、解雇は撤回された[20][23][24]。
2025年9月30日、TVRIは2026年FIFAワールドカップの独占放映権を取得した。大会は2026年6月11日から7月19日にかけてアメリカ合衆国、メキシコ、カナダで開催され、約80試合が無料で放送される予定である[25]。 この契約は国会第VII委員会の承認を受けており、約160億ルピアの予算が見込まれている[26]。 これは1998年以来28年ぶりのワールドカップ放映権取得である。
さらにTVRIはRRIおよびインドネシア国営通信社アンタラと連携し、テレビ未受信地域に対してラジオなどを通じた情報提供も行う体制を構築した[27][28]。
2026年2月1日には、全国34局で「Bola Gembira Piala Dunia 2026」キックオフイベントを同時開催し、Museum Rekor Dunia Indonesia(MURI)より「自動車通行規制区域で同時開催されたワールドカップ関連イベント最多」の記録として表彰された[29]。
ロゴの歴史
-
1962-1974
-
1974-1982
-
2003-2007
-
2007–2019
-
2019–現在
スローガン
- 団結と統一を結ぶ(1962年–2001年)
- 心により近く(2001年–2003年)
- 国民統合のチャンネル(2001年;2012年–2019年)
- 新たな精神(2003年–2012年)
- 家庭にとって教育的かつ安全(2011年)
- 国民統合のメディア(2019年–現在)
サービス
テレビ
現在、TVRI中央局は3つの全国チャンネルを運営している。
- TVRI (テレビチャンネル)(またはTVRIナショナル)は、1962年から放送されているTVRIの主要チャンネルである。このチャンネルでは、多様な番組を放送しており、ニュース、情報、宗教、娯楽、児童向け番組などが含まれる。
- TVRI Worldは、国外および国内(中上位層)視聴者を対象とした英語のデジタル専門チャンネルであり、現在試験放送中である[30][31]。以前は「TVRI Kanal 3」と呼ばれ、2010年にTVRIおよび地方局のデジタル放送開始と同時に開始された。
- TVRI Sportは、スポーツ関連番組を放送するデジタル専門チャンネルである。このチャンネルも2010年にTVRIナショナルおよび地方局のデジタル放送と同時に開始された。
地方チャンネル
ジャカルタに所在する中央局のほか、TVRIはインドネシア全土に展開する35の地方局を有している。これらは総称してTVRI地方と呼ばれることが多く[32]、デジタル地上波のチャンネル配置では通常、TVRI主要チャンネルの後に配置される。これらの地方局は4つの地域コーディネーター(Korwil)に分かれる。すなわち、スマトラ地域を担当するアンダラス、ジャワ・バリ・ヌサトゥンガラ地域を担当するジャバヌスラ、カリマンタン地域のボルネオ、スラウェシ・マルク・パプア地域のスランパである。
アナログ地上波時代には、TVRI地方局はTVRIナショナルのネットワークとして機能し、中央放送を中継する形が基本であった。多くの場合、同一チャンネルで放送されていたが、一部地域では独立したチャンネルが存在し、プログラム2と呼ばれた。確認されている例としては、プログラム2ジャカルタおよびプログラム2スラバヤがある。これらは都市部向けに娯楽番組を重視し、1990年代初頭に登場した民間テレビへの対抗を意図していたが、十分に発展しなかった。
その後、デジタル放送の導入によりネットワーク中継の比重は縮小し、地方局が独自編成を行う余地が拡大した。チャンネル2という呼称は、TVRIナショナルと分離された地方局専用チャンネルを指す用語として用いられるようになった。この方式はデジタル地上波テレビで全国的に採用されている。
地方局は地域密着型の番組を放送し、地域ニュースも含まれる。番組は各局が制作し、外部機関との共同制作も行われる。これらの放送は各州内の中継局によって再送信されており、現在361のデジタル送信局が存在する。これにより人口の約70.18%がカバーされており、2006年の32.09%、2010年の62%から大幅に増加している[33][34]。
東ティモール州(現東ティモール)がインドネシアに統合されていた時期には、ディリに拠点を置くTVRIディリが存在した。この局は1999年の独立に伴い閉鎖され、その資産を基に国連暫定行政機構(UNTAET)のテレビ局が設立され、現在のRTTLへと継承されている。
マルチプレクシングサービス
アナログ放送終了に伴い、TVRIは政府の直接指名により、各地域におけるマルチプレクシング(mux)運営も担っている。当初は単一のmux事業者となることを望んでいたが、最終的には民間テレビにも運営権が与えられた。
現在、TVRIは最大のmux運営者であり、136のデジタル送信設備を保有し、将来的には260へ増強予定である[35][36]。方針として、1つのmux容量の50%を自社チャンネルに使用し、残りを民間・コミュニティ・公共放送へ貸し出している。かつてHD放送はTVRIに限定されていたが、現在は地域によっては外部事業者もHD放送を実施できる。
運営は中央集権的であり、契約・収益管理は本部が担当し、地方局は技術運用のみを担う。契約手続きは、申請書提出、容量確認、協議、契約締結の順で進められる。料金は地域差があり、ジャボデタベックでは1スロットあたり約4,600万ルピア、地方では約1,000万ルピアである。この収入は国家非税収入(PNBP)の一部として活用されている。
オンラインサービス
現在はTVRI Klikを運営しており、全チャンネルおよび地方局のオンライン配信とビデオ・オン・デマンドを提供している[37][38]。ウェブサイトおよびAndroid・iOSアプリから利用可能である。過去には「TVRI VoD」という類似サービスも存在した。
また、TVRINews.comというニュースポータルも運営しており、2014年頃から確認されている。さらに、TVRIはアンタラ通信社およびRRIと共同で「Redaksi Nasional」を運営し、全国スポーツ大会やG20サミットなどの報道拠点として機能している[39]。
その他
TVRI本部はジャカルタ中心部・タナアバン区ゲロラ地区に所在し、ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムの近隣に位置する。敷地内には、1976年から1983年に建設された延床面積2万4,000平方メートルの4階建てスタジオ、1983年から1985年に建設された12階建ての運用ビルなどがある[40]。
また、高さ144.7メートルのTVRIタワー(1975年–1977年建設)があり、これは1962年の旧タワーに代わるものである。さらに現在では、西ジャカルタ・ジョグロ地区に高さ300メートルの新タワーが設置されている。これらの塔は歴史的にジャボデタベック地域への送信拠点として機能してきた。
TVRIは放送技術教育を担う教育訓練センター(Pusdiklat TVRI)を有するほか、西ジャワ州デポック市スックマジャヤ郡にはTVRIオープンスタジオを運営している。この施設は屋外型スタジオとして番組制作に利用されるとともに、レクリエーション施設としても活用されている。さらに、全国各地の送信設備はインターネット事業者や通信会社、ラジオ局などとの協力によって活用が進められている。
脚注
- ↑ “2024年TVRI公共放送機関業績報告書(LKJIP)” (2025年2月26日). 2025年10月1日閲覧。
- ↑ “TVRI創立58周年に際するLPP TVRI社長イマン・ブロトセノからの祝辞...” (2020年). 2023年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月30日閲覧。
- ↑ “Digital Media Reports 2021 - Indonesia”. Reuters Institute for the Study of Journalism, University of Oxford. 2023年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月28日閲覧。
- 1 2 “TVRI MASIH MENGANDALKAN IURAN DAN SUBSIDI PEMERINTAH”. 2022年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月12日閲覧。
- 1 2 “BAB III”. 2022年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月6日閲覧。
- 1 2 3 Rio Rahardia. “e Library Unikom: TVRI Jawa Barat, hlm. 3”. 2019年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月24日閲覧。
- ↑ “Komunikasi & Regulasi Penyiaran”. 2023年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月2日閲覧。
- ↑ “Komisi I: TVRI Hidup Segan tapi Mati Tak Mau”. 2021年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月2日閲覧。
- ↑ “Komisi I DPR sesalkan pemecatan Dirut TVRI”. 2021年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月2日閲覧。
- ↑ “Apni Jaya Putra: "TVRI Mati Suri Sejak Ada TV Swasta Keluarga Soeharto"”. 2021年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月2日閲覧。
- ↑ “televisi-republik-indonesia”. 2021年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月2日閲覧。
- ↑ “Dikala “Raja Kuis Indonesia” Menjadi Direktur TVRI”. 2021年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月12日閲覧。
- ↑ Kurniawan, Aloysius Budi (2019年3月30日). “TVRI Berupaya Rombak Stigma”. Kompas.id. オリジナルの2022年9月9日時点におけるアーカイブ。 2022年9月9日閲覧。
- ↑ “Kodrat TVRI Layani Publik, Bukan Kejar "Rating"”. 2021年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
- ↑ “Kisruh di TVRI: Saatnya Kita Cerita tentang Masalah Ini”. 2021年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
- ↑ Administrator (2019年6月19日). “LPP TVRI Raih Opini WTP 2018”. Indonesia Daily. 2022年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月9日閲覧。
- ↑ “Kemenkominfo” (2019年9月2日). 2020年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月7日閲覧。
- ↑ “RUU RTRI Angin Segar Bagi RRI dan TVRI”. 2022年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月8日閲覧。
- 1 2 Ketika TVRI dan RRI Ikutan Efisiensi
- 1 2 Utak atik bujet media publik berujung kritik
- ↑ Langkah-langkah TVRI menuju TV berkelas dunia
- ↑ Menyelamatkan RRI dan TVRI
- 1 2 TVRI dan RRI batal 'rumahkan' pegawai imbas efisiensi anggaran Prabowo – 'Saya berharap honor kami bisa kembali seperti semula'
- ↑ Kabar Baik, Karyawan TVRI dan RRI Batal Di-PHK
- ↑ Hak Siar Piala Dunia 2026 Milik TVRI, Tayang Gratis Mulai Kapan?
- ↑ TVRI Jadi Pemegang Hak Siar Piala Dunia 2026, Berpeluang Bisa Disaksikan Gratis
- ↑ Putri Haniyah, Annisa (2026年1月28日). “RRI Kolaborasi dengan TVRI untuk Siaran Piala Dunia”. Radio Republik Indonesia 2026年2月1日閲覧。
- ↑ “LKBN ANTARA siap jadi amplifikator siaran Piala Dunia”. (2026年1月28日) 2026年2月1日閲覧。
- ↑ Agon, Rangga (2026年2月1日). “Kick Off Bola Gembira Piala Dunia 2026, TVRI Raih Rekor MURI”. Televisi Republik Indonesia
- ↑ “Raker Siaran Digital TVRI World 2020”. Televisi Republik Indonesia (2019年). 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月24日閲覧。
- ↑ Azhar, M Sholahadhin (2020年). “TVRIの視聴者層に変化”. Medcom.id. オリジナルの2021年11月25日時点におけるアーカイブ。 2021年5月22日閲覧。
- ↑ Hamdani, Robitho (2021年). “Migrasi TV Digital”. 2023年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月19日閲覧。
- ↑ RESMIKAN PEMANCAR DIGITAL, MENKOMINFO : SIARAN TVRI JANGKAU 70,18% POPULASI
- ↑ 4 Tahun Kinerja LPP TVRI
- ↑ Migrasi Siaran Analog Ke Digital, LPP TVRI Siapkan 120 Pemancar
- ↑ Daftar Mux
- ↑ “TVRI Klik”. Televisi Republik Indonesia (2018年). 2021年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月24日閲覧。
- ↑ “Gunakan Aplikasi TVRI Klik, Lebih Mudah Belajar dari Rumah”. HiTekno (2020年). 2021年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月24日閲覧。
- ↑ “Redaksi Nasional siapkan kanal khusus berita Presidensi G20 Indonesia”. Antaranews.com (2022年2月24日). 2023年9月1日閲覧。
- ↑ TVRI Senayan
外部リンク
- TVRIのページへのリンク