おう‐さだはる〔ワウ‐〕【王貞治】
王貞治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 10:12 UTC 版)
王 貞治(おう さだはる、繁体字: 王貞治; ウェード式: Wang Chen-chih〈ワン・チェンジー〉、1940年5月20日 - )は、東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)出身の元プロ野球選手、監督。中華民国籍。愛称は「世界の王」「ワンちゃん」。
注釈
- ^ 現在のメジャーリーグの記録はバリー・ボンズの762本。
- ^ 自著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』では「坊や、何で右で打っているの?」と書いている。
- ^ 自著『もっと遠くへ ~私の履歴書~』では「じゃあ、次は左で打ってみたらどうだい。」と言っている。
- ^ 荒川はその時の王の印象を後に「なんて素直な少年なんだと思った。普通は大事な試合中に右打ちから左打ちに変えるなんて人に言われたってしない。それをスパッとやってしまうのはすごい」と語っている。
- ^ 開幕戦先発出場のセ・リーグ高卒新人は王以外に1957年に日大三高から阪神入りした並木輝男外野手、小学4年で王に憧れ野球を始め1988年にPL学園から中日入りした立浪和義遊撃手の2人。
- ^ ただし、シーズンで最多三振を記録したことは一度もない。
- ^ 当時の巨人でのシーズン最多本塁打は青田の32本であり、簡単に30本以上が出るとは思っていなかった。
- ^ この日は日曜日で、当時日曜日はダブルヘッダーとすることが多く、第1試合は薄暮ゲームで午後4時半から開始することが多かった。
- ^ この時の当事者だった別所と荒川は、その後1977年から1984年まで、フジテレビと文化放送の野球解説者として『プロ野球ニュース』などで一緒に仕事をすることになる。
- ^ 1981年から1987年までは後楽園球場、1998年から現在は東京ドームの1番ゲートは「王ゲート」と称されており、そのモニュメントで再現されている。また2002年には王の現役時代のバッティングを再現した「王貞治スーパーリアルフィギュア」(868体限定)が販売され、一本足打法が再現されている
- ^ NPB全体では2001年のタフィ・ローズ、2002年のアレックス・カブレラと並ぶ2位タイ記録。日本国籍選手だと1963年の野村克也、1985年の落合博満の52本塁打が最多タイ記録であった(村上は日本国籍)。
- ^ 王が引退した1980年において、メジャーリーグ26球団の本拠地球場の多くは両翼が100mを超えており、両翼が100m以下の球場も左右中間は115m以上あるなど充分な外野の広さを持っていた。これに対し、後楽園球場は両翼が実測87.8m(約288.1ft)、左右中間110.1m(約361.1ft)と狭く、他のセ・リーグの球場もほぼ同様の広さであった。
- ^ 当初は助監督の3年間で退任して巨人を去るつもりであったが、球団の要請により、監督に登用されて引き受けることとなった。
- ^ 戦後から2015年まで(水原監督から第二次原監督まで)でBクラス経験が一度もない巨人軍監督は、水原と王の2人だけである。
- ^ 前年の1993年にも根本から監督の要請があったが、この時は急な話だった為に断っている[81]。
- ^ 長嶋自身、周囲への助言を求めている自分と、そうでもない王の対比を意識しており、その違いは「ワンちゃんは荒川さん直々の打法があったが、自分はそもそも師匠がおらず、直伝された技術がなかった。だから自分から周囲に教えを乞うしかなかった。」と述べている(「巨人V9 50年目の真実」より)
- ^ その際、自分のもとに王から直接電話が来るはずないと思っていた尾花から「王さんですか?失礼ですがそのような方に心当たりないのですが、どちらにお掛けですか」と訊き返し、それに対して王が「福岡ダイエーホークスの監督を務める王貞治と申します」と丁寧に返答したため、尾花が一転して直立不動になってしまったという逸話がある(詳細は尾花高夫を参照)。
- ^ ただし、NPB公式の出塁率のシーズン記録は1986年落合博満(ロッテ)の.487である(両リーグで最高出塁率を表彰開始した1985年以降が対象であるため)[137]。
出典
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- ^ 王貞治 - オリコンTV出演情報
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王貞治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:03 UTC 版)
一塁手。藤村の前にファーストゴロとセンターフライ(センターのエラーで三塁に進塁)に討ち取られる。
※この「王貞治」の解説は、「男どアホウ甲子園」の解説の一部です。
「王貞治」を含む「男どアホウ甲子園」の記事については、「男どアホウ甲子園」の概要を参照ください。
王貞治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 07:02 UTC 版)
「巨人の星 (アニメ)」の記事における「王貞治」の解説
前作でも共に戦ったチームメイトの先輩。四番で一塁手。右投手に転向した星がコントロールに苦しむのを見かねて、ザトペック投法(ノーワインドアップ投法)を伝授した。これは、実際に王が高校時代に投手をしていた時に使用している。
※この「王貞治」の解説は、「巨人の星 (アニメ)」の解説の一部です。
「王貞治」を含む「巨人の星 (アニメ)」の記事については、「巨人の星 (アニメ)」の概要を参照ください。
王貞治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:28 UTC 版)
※この「王貞治」の解説は、「白戸家」の解説の一部です。
「王貞治」を含む「白戸家」の記事については、「白戸家」の概要を参照ください。
王貞治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:45 UTC 版)
第1期連載時は先輩選手として、第2期はジャイアンツの監督として登場。第1期に関してはストーリー上、同僚ということもあり巨人くんに対しては長嶋より王が関与することが多い。家庭教師を買って出たり、観客として試合を見に来ていた少女(実は掛布目当て)と「お見合い」を行うなど面倒見が良い。
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王貞治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:59 UTC 版)
日本が世界に誇るホームラン王。蛮の魔球開発にも多大なヒントを与えている。大回転魔球の初披露時は、タイミングが取れず一本足のまま呆然と見送り、同じチームで良かったと述懐。アニメ版では、日本シリーズで腰痛に悩まされている話が描かれた。
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王 貞治(おう さだはる)
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巨人の監督。背番号1。1988年以前に連載が開始された漫画版では王が童夢の才能を見出した存在となっており、1988年で監督退任をすると漫画版でも同様に退任した。その際に童夢が落ち込む描写がある。
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