みそら‐ひばり【美空ひばり】
美空ひばり
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美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月29日 - 1989年〈平成元年〉6月24日)は、日本の歌手・女優・実業家。神奈川県横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。
注釈
- ^ 磯子区杉田四丁目の横須賀街道に面した劇場で、日本飛行機の関連工場を改装したもの。建物の裏は海だった。なお2005年3月開館の区営ホール、横浜市磯子区民文化センター 杉田劇場とは別物であるが、ひばりデビュー公演のチラシなど旧劇場の関連資料を保存・展示している(杉田劇場の歴史)。
- ^ 戦後間もない当時は、警察の力が弱く、地回りへの挨拶は必要不可欠であった。
- ^ ひばり母子はこの記事を長く保存しハチローに敵愾心を持っていたと言われるが、後にハチローと和解している。
- ^ ただし、ひばりには既に1953年1月・第3回の時点で、出演のオファーがかけられていたが、第3回は正月興行、その次の1953年12月・第4回は年末の公演との兼ね合いから、ひばりサイドから出演を見送られた経緯があり、NHKにとっては3度目の「ラブコール」が実った形となった。
- ^ 当時、那覇を含む沖縄は日本本土から分離され、琉球政府を通じたアメリカ合衆国による沖縄統治が行われていた。
- ^ 元々はひばりのために書かれた曲ではなく、1960年に北見沢淳が歌った曲であった。
- ^ 岡田は1964年に東映京都撮影所所長に就任し、興行不振の続く時代劇から任侠映画に徐々に切り替えを行う(【訃報】“任きょう映画の父”が87歳で、『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)、NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した)。ひばり主演の時代劇は安定した人気を保っていたが、1966年頃からひばり作品まで当たらなくなるほど深刻な状況に陥った(立松和平『映画主義者 深作欣二』文藝春秋、41頁)。やむを得ず、岡田がひばりに直接「ひばりちゃん、悪いがもう(ひばりちゃんの)映画は撮らんよ」と伝えた。ひばりは「これで私には映画の話は来なくなるわね」と寂しい顔をされ、岡田を困惑させた (『映画主義者 深作欣二』、41頁)。映画を通じての付き合いは無くなったが、岡田とひばりの交遊は生涯にわたって続き、ひばりは1989年に病状が悪化し、順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院したが、これは岡田の広島高等学校時代からの親友で(サンケイスポーツ、1975年5月21日号、15頁、『沢島忠全仕事』、197、478–479頁)、同院の石井昌三(元順天堂堂主、理事長)の手引きによるもの(脇田巧彦著『特ダネ人脈 記者50年』2016年、埼玉新聞社、203頁)。岡田も系列の順天堂大学医学部附属練馬病院で亡くなっている。
- ^ 哲也は、1957年、小野透の芸名でひばりの全盛期には歌手デビューし、多くの東映映画に出演、主演を務めたこともあったが1962年に引退。元々ひばりの弟という売り込みでひばり関連の興行などで役者や間つなぎの歌手もこなしていたが、三代目山口組益田組(組長は益田佳於)の舎弟頭となっていた。翌1963年には賭博幇助容疑、賭博開帳図利等、1964年には拳銃不法所持、1966年には傷害、暴行、拳銃密輸、1972年には暴行で逮捕と刑事事件が続いていた。
- ^ 事実上は落選。この頃NHKには「ひばりを出すな」という苦情も多く来ており、また数年ヒット曲に乏しかったこともあって理事会ではほぼ満場一致で決まったという。
- ^ ただし、1979年の第30回には藤山一郎と特別出演、『ひばりのマドロスさん』、『リンゴ追分』、『人生一路』の3曲をメドレー形式で歌った。
- ^ 美空ひばりは当時12歳頃。主人公の男女がのど自慢大会を見物をしていたシーンでおよそ40秒出演していて、「涙の紅バラ」を歌っていた。映画会社が作品完成後倒産してしまい、行方不明であったが、神戸市にある神戸映画資料館が約40年前にフィルムを購入しており、文化庁の助成により内容を精査していたところ、2016年1月に出演が確認された。
- ^ 1974年・第25回に島倉千代子とフランク永井がいずれも18回目の出場を果たし、更新。
- ^ ひばりのマドロスさん(2回目)・リンゴ追分・人生一路のメドレー。
出典
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- ^ 美空ひばりの新曲ライブの実現を支援 あの歌声を当社最新の歌声合成技術『VOCALOID:AI™』で再現 「NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり(仮)」に技術協力
- ^ NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり(仮)
- ^ 美空ひばり(AI歌唱)、MV公開。紅白使用の3Dひばり映像がいち早く登場
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- ^ AI美空ひばり、新曲「あれから」CD&カセット&配信。「川の流れのように」以来30年ぶり
- ^ NHK紅白歌合戦に、AI技術で復活した美空ひばり出場。秋元康プロデュースの新曲披露,AV Watch,2019年11月14日
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美空ひばり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)
親しかった報知新聞社長からの勧誘を受け、コンサートを観ている。その後清張はひばりに歌を作詞する約束をし、「雑草の歌」というタイトルで資料集めを実施、内容を検討していたが、ひばりの死(1989年)により実現せずに終わった。
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美空ひばり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:45 UTC 版)
とんねるずは美空ひばりとも生前は親交が非常に深く、「お嬢」「タカ」「ノリ」と呼び合う間柄だった。 両者の出会いのきっかけは、とんねるずの大ファンだったひばりの息子・加藤和也(現:ひばりプロ社長)の誕生会に2人が呼ばれたことである。その後も『とんねるずのオールナイトニッポン』にひばりが急遽飛び入り出演し、とんねるずが出演していた同番組の生放送中にひばり本人から電話が入るなどの過去もある。 彼らが出演していた番組を見ていたひばりから放送終了後に2人の元へ電話がかかってきて、深夜にも拘らずひばりの自宅に呼び出され夜11時頃から番組内での行き過ぎた歌パフォーマンスに対して説教を受けたことがある。その際にはひばりのコンサートビデオを延々と見させられ、ひばりが席をはずすなり石橋がビデオを早送りして何とか見終わったと思いきや、そのビデオは上巻で、続けて下巻のビデオを結局翌朝5時頃まで見させられたというエピソードがある。 1988年に東京ドームの単独コンサート第一号として、不死鳥コンサートが行われ、政界・芸能界から沢山の有名人が駆けつけていた中、とんねるずも来ており石橋は隣に居た木梨に感動で泣くところを見られたくなかったので、必死に我慢していたがついに堪え切れず涙腺が崩壊しかけ、「ヤバい」と隣の木梨を見たところ木梨の方が先に号泣していたという。石橋はひばりに『(芸歴は)売れてから数えなさい』と言われて以来、「雨の西麻布」がヒットした1985年からを芸歴としてカウントすることがある。
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美空ひばり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:46 UTC 版)
「川の流れのように」(1989年) - 本人の没後にランクインしている。1989年8月31日、「今週のスポットライト」コーナーで、生前のひばり自身が歌唱披露していた、1989年(昭和64年)1月4日にTBS放映の特別番組「春一番!熱唱美空ひばり ~いま誓い新たに燃える不死鳥全25曲!!~」からの映像を流していた。また、初登場のサインは上述の石原裕次郎と同じく生前の宣材写真に署名を加えたものが提供された。それから2週間後の9月14日に第10位へ唯一のランク、この日にも上記特番の動画を再放送する。なお、没後にベストテン入りした歌手は上述の石原裕次郎以来、2年振り2人目の出来事だった。
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美空 ひばり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 02:46 UTC 版)
「三人娘 (1955-)」の記事における「美空 ひばり」の解説
詳細は「美空ひばり」を参照 愛称: 「お嬢」「歌謡界の女王」「昭和の歌姫」など 本名: 加藤 和枝 生年月日: 1937年5月29日 没年月日: 1989年6月24日 配偶者: なし(1962年に小林旭(俳優・歌手)と結婚、1964年離婚) 子供: 長男(養子)・加藤和也(実業家) 1949年に「河童ブギウギ」で歌手デビュー。同年「悲しき口笛」がヒットし、一躍スターとなる。以後も、「東京キッド」「リンゴ追分」「お祭りマンボ」「港町十三番地」など立て続けにブレイク。1954年の第5回NHK紅白歌合戦に「ひばりのマドロスさん」で初出場。1972年までに通算17回出場し、そのうち13回トリを務める。1965年には、「柔」で第7回日本レコード大賞を受賞。その後も、「悲しい酒」「真赤な太陽」とミリオンセラーを記録する大ヒット曲を連発し、「歌謡界の女王」の地位を不動のものにした。しかし、1987年に慢性肝炎と特発性大腿骨頭壊死症により緊急入院。約3か月間の療養後一旦退院するも、1989年に再入院。同年突発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全のため52歳で没した。死後、女性としては初となる国民栄誉賞が追贈された。
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