梓みちよ
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梓 みちよ(あづさ みちよ、1943年6月4日[1] - 2020年1月29日[3])は、日本の歌手、女優。本名は林 美千代(はやし みちよ)[1]。血液型はO型[2]。株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。
注釈
出典
- ^ a b c d e 梓みちよ Tower Records Online
- ^ a b c d e f >梓 みちよ (あずさ みちよ) アラベスク
- ^ a b "歌手の梓みちよさん死去 76歳「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 3 February 2020. 2020年2月3日閲覧。
- ^ 亡き梓みちよさん 葛藤40年「赤ちゃん」封印解く 日刊スポーツ2019.2.3(2019.2.3 lastaccess)
- ^ a b c さんまにシャンパンかけた 梓みちよ 2012年10月23日 日刊ゲンダイ
- ^ “【トピックス】朝日新聞連載「おお宝塚 学舎100年」(1)~(4) おお宝塚(1)「こんにちは 私の青春」 - スターファイル - 朝日新聞社”. astand.asahi.com(2013年7月17日). 2020年2月3日閲覧。
- ^ a b 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年8月23日号「芸名由来記」64頁
- ^ 『音楽CD検定公式ガイドブック(下)』CDジャーナル(編)289p
- ^ 和田浩治 結婚1年7カ月で梓みちよと泥沼離婚 2013年7月17日 日刊ゲンダイ
- ^ "名曲封印「バカだった。後悔した」…梓みちよさん悼む」". スポーツ報知. 報知新聞社. 4 February 2020. p. 1. 2020年2月4日閲覧。
- ^ “梓みちよさんが死去、76歳 「こんにちは赤ちゃん」などが大ヒット”. SANSPO.COM(サンスポ) (2020年2月3日). 2020年2月3日閲覧。
- ^ “「こんにちは赤ちゃん」梓みちよさん死去、76歳 先月末に自宅で亡くなっていた - 最新芸能ニュース一覧”. 楽天WOMAN(2020年2月3日). 2020年2月3日閲覧。
- ^ “梓みちよさん急死、76歳 「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」が大ヒット マネージャーが自宅で発見”. スポニチAnnex(2020年2月4日). 2020年2月6日閲覧。
- ^ 「永さんなしで梓みちよは誕生しなかった」悼む 2016年7月12日 日刊スポーツ
- ^ 朝日新聞デジタル「歌手の梓みちよさん死亡」(2020年2月3日)
- ^ “第25回 大里洋吉 氏 | Musicman”. 音楽業界総合情報サイト | Musicman. 2021年4月9日閲覧。
- 1 梓みちよとは
- 2 梓みちよの概要
- 3 ディスコグラフィ
- 4 出演
- 5 関連項目
梓みちよ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)
梓みちよのレコーディングでは「アナタは歌がうまいから困るんです。僕としては、もっと下手に、そう、思い切って下手クソにやってほしいんです」と言うと、梓は『メランコリー』を目一杯下手クソに歌って一言、「これでいいわけ。フン、変なの、アンタたちの音楽」と言ったという。ただ、梓は拓郎はレコーディングには来なかったと話している。この曲の作曲は拓郎だが「緑のインクで手紙を書けばそれはさよならの合図になる」と書かれた喜多条忠の作詞もヒットした。それまでフォークの作詞家だった喜多条に「お前に歌謡曲の作詞はムリだろ?」と言う拓郎の挑発に喜多条が奮起して作詞を手掛けたもの。1976年、梓も紅白歌合戦で歌う際、この曲の短縮を要求されNHKともめたが出場した。
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