宮川泰とは? わかりやすく解説

宮川泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/12 08:24 UTC 版)

宮川 泰
生誕 (1931-03-18) 1931年3月18日
出身地 日本 北海道留萌市出生
大阪府富田林市育ち
死没 (2006-03-21) 2006年3月21日(75歳没)
学歴 大阪学芸大学(現:大阪教育大学)音楽科中退
ジャンル 作曲・編曲・鍵盤楽器一般
職業 作曲家
キーボーディスト
タレント
活動期間 1950年代 - 2006年
公式サイト http://www.miyagawa-world.jp/

宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日[1][2] - 2006年3月21日[2])は、日本作曲家編曲家ピアニストタレント。 「マツケンサンバII」の作曲などで広く知られる作曲家・編曲家の宮川彬良(本名:宮川晶)は長男。バイオリニストの森由利子は義理の娘である。宮川安利は孫(彬良の次女)。

略歴

土木技術者の父親の赴任先である北海道留萌市で出生。その影響で現在でも留萌市の吹奏楽では「宇宙戦艦ヤマト」など宮川音楽の合奏が盛んに行われている。出生後、父親の異動に伴い幼いころより北海道紋別市鴻之舞・北海道北見市和歌山県和歌山市大分県日田市など全国を転校してきた。

大阪府立富田林高等学校卒業。京都市立美術専門学校を経て大阪学芸大学音楽科中退。「渡辺晋とシックス・ジョーズ」でピアニストアレンジャーとして活躍。その後、独立して作曲家、編曲家となる。

1963年恋のバカンス」で第5回日本レコード大賞編曲賞受賞。1964年ウナ・セラ・ディ東京」で第6回日本レコード大賞作曲賞受賞。1969年に「青空のゆくえ」で合歓ポピュラーフェスティバル'69作曲グランプリ受賞。1971年君をのせて」で合歓ポピュラーフェスティバル'71川上賞受賞。1973年10月、東海林修の後任として、NHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』の音楽監督に就任。番組が終了した1974年3月31日まで務めた。自身が率いる「名匠宮川組」のメンバーらと共に全国で演奏会を行い、大阪芸術大学音楽学科教授も務めた。

作品

カバーについては原則として割愛している。また、映画・テレビ番組等の主題歌・挿入歌も割愛している。

作曲

編曲

作・編曲

  • 昨日と今日のブルース・信じられないの(浅尾千亜紀)
  • 宇宙よりのパンツマン(辻佳紀
  • 終り無きわが歌の道(三波春夫

舞台音楽担当

  • 私と私(1962年)
  • 二つの花(1962年)
  • 夢がいっぱい物語(1964年)
  • ミュージカル『ビリーブ・イン・ミー』
  • 虹色の彼方へ(OSK日本歌劇団

参加作品

テレビ番組

映画

ラジオ

  • 『ザ・ピーナッツ』(ニッポン放送 1961年 - 1965年/朝帯番組)- 「今月の歌」を担当
    • プランタン プランタン
    • お星さま聞いて
    • あれは十五の夏祭り(スクスク音頭)
    • 山小屋の太郎さん
    • ママごめんなさい
    • 冬の朝
    • 云えなかったの
    • 二つの言葉
    • いつからか
    • 冷たい手
    • 霧に想いを
    • 三毛猫
    • 明日をたくさん
  • コーセー歌謡ベスト10FM東京)- 宮川本人も番組に出演[1]

コンピュータゲーム

その他

出演

  • 題名のない音楽会(テレビ朝日) - 自作の指揮等で出演。
  • 第25回 年忘れにっぽんの歌(1992年12月31日、テレビ東京) - スペシャルゲストの植木等が歌唱するメドレーの編曲と指揮を担当。
  • NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1) - フィナーレに「蛍の光」を出演者(出場歌手・司会者・ゲスト審査員・ゲスト・合唱団など)並びに会場の観客で大合唱することが恒例で、この場面のみに指揮者として出演した。第44回(1993年) - 第56回(2005年)まで指揮を務めた。 ※後任は平尾昌晃

著書

  • 『サウンド解剖学』(1981年 中央公論社
  • 『若いってすばらしい―夢は両手にいっぱい宮川泰の音楽物語』(2007年、産経新聞出版

『宇宙戦艦ヤマト』のエピソード

  • 宮川は『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー・西崎義展から「主題歌は『鉄』をイメージする曲を書いてくれ」という依頼を受け、困惑したと語る。また、西崎からの注文は「バラード調で」ということであったが、宮川はこの曲にふさわしいのは雄壮なイントロであると考えていた。テレビシリーズでは第3話までバラード調の歌い出しが使用され、第4話以降は一般的にも認知されている雄壮なイントロが使用された。
  • 「宇宙戦艦ヤマト」は宮川本人による仮歌バージョンが存在し、松本零士がそのテープのひとつを所有している。宮川本人はそのテープをすべて回収したい意向だった。
  • YAMATO2520』製作にあたってのインタビューで主題歌について語っており、1.「さらば地球よ」で始まるAメロは、ヤマトに改装する前の戦艦大和が海底に沈んでいたイメージでキーを低くした。2.「宇宙の彼方イスカンダルへ」のBメロは、乗組員が隊列を組んで行進しながらヤマトへ乗り込むイメージで軍歌調にした。3.サビから終わりにかけては、ヤマトが地上から宇宙へ飛び立つイメージから次第にキーを高くした。と解説している。
  • ヒットしてから後、数々の「ヤマト」シリーズが続々製作され、その度に主題歌を新しくアレンジするのがもっとも苦痛だった。最後の「ヤマト」完結編となると何度も書き直しをくらい、満身創痍でなんとか完成したという。
  • 「ヤマト!! 新たなる旅立ち」(『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』主題歌)作曲のため歌詞を渡された宮川はその歌詞に「REMEMBER YAMATO」という部分があるのを見て、「今までヤマトの歌はこういう英語が入ることがなかった。作りづらいのでこの部分は直して欲しい」とプロデューサー・西崎義展に要求。ところがいざ作曲を始めてしまうとその「REMEMBER YAMATO」の部分の旋律が先に、しかも自分としては気に入ったものが出来てしまった。あわてて西崎に連絡を取ると、宮川がそう言うと思って作詞家(阿久悠)にはまだ何も話してなかったという(昭和50年代・『ズームイン!!朝!』内「朝のポエム」にて宮川自身の口よりこの曲の想い出として語られた)。
  • 宮川の葬儀において、出棺の際に50人からなる吹奏楽バンドが盛大にヤマトのテーマを奏で故人を送った。これは生前からの本人の希望であった。知人の葬儀に参列した帰りのタクシーで「俺の時は(俺が死んだら)、『ヤマト』な」と息子(宮川彬良)に託していたと、音楽番組『どれみふぁワンダーランド』などで宮川彬良本人により語られている。

宮川泰を演じた俳優

脚注

注釈

  1. ^ ズームイン版。なお、ボニージャックスは平井と若松が編曲したものも歌っている。
  2. ^ 長男の宮川彬良は、2017年の『ひよっこ』で音楽を担当した。
  3. ^ 高松宮記念」と「チャンピオンズカップ」の2競走。

出典

参考文献

  • 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)

関連項目

外部リンク





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