宮川泰夫とは? わかりやすく解説

宮川泰夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/23 14:02 UTC 版)

みやかわ やすお
宮川 泰夫
プロフィール
出身地 日本 新潟県柏崎市
東京都大田区
生年月日 (1945-04-14) 1945年4月14日(79歳)
最終学歴 東京大学文学部社会学科卒業
職歴 長崎帯広福島仙台東京アナウンス室
活動期間 1968年 -
ジャンル 報道情報音楽
配偶者 あり
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照

宮川 泰夫(みやかわ やすお、1945年昭和20年〉4月14日 - )は、日本フリーアナウンサー。元NHKエグゼグティブアナウンサー

経歴

太平洋戦争中に家族の疎開先の新潟県柏崎市で生まれ、終戦後に家族とともに東京都大田区へ転居した。東京都立小山台高等学校を経て[注 1]東京大学文学部を卒業後、1968年NHKに入局。長崎放送局を皮切りに、帯広福島仙台の各局に所属した[1]

東京アナウンス室に異動後は『NHKおはようサンデー』や『NHKモーニングワイド』のキャスターを務め、1993年に『NHKのど自慢』の司会に就任する。1994年には『第45回NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当した[2]。『NHKのど自慢』司会在任中に海外大会が行われた影響で、やがて国際的に親しまれるアナウンサーともなった[3]

2005年度のスタートとともに定年を迎えたこともあり、同年3月に「愛・地球博」会場で開催された大会をもって『のど自慢』の司会を勇退。翌月からは『サンデージョッキー』の司会と『ラジオ深夜便』のアンカーを務める。定年後も嘱託職としてNHKに在籍していたが、65歳を迎えることを機に2009年いっぱいで雇用契約を終了し、以降はフリーの立場で活動している。

『NHKのど自慢』で訪れた都道府県で最も好きな県は富山県

出演番組

長崎放送局

帯広放送局

福島放送局

仙台放送局

NHK放送センター(東京アナウンス室)

フリー

著作

連載

  • 宮川泰夫の“のど自慢が行く”(毎日新聞の夕刊にて連載)

関連人物

同期アナウンサー

その他

脚注

注釈

  1. ^ このため、唯一都立高校を卒業した新潟県出身のNHK正職員アナウンサー経験者となっている。なお、新潟県出身の在京民放キー局のアナウンサー経験者の中で都立高校を卒業したのは高井正憲見附市出身の元テレビ朝日アナウンサー。1966年東京都立城北高等学校を卒業)だけとなっている(共に2022年5月23日現在)。

出典

  1. ^ a b 宮川泰夫”. NHKプロモーション. 2025年3月23日閲覧。
  2. ^ NHK紅白歌合戦ヒストリー 第45回(1994年/平成6年)”. NHK. 2025年3月23日閲覧。
  3. ^ かまにし 第53号”. 大田区. 地域力推進蒲田西地区委員会 (2014年9月1日). 2025年3月23日閲覧。
  4. ^ NHK紅白歌合戦〔45〕 第1部”. 放送ライブラリー. 2025年3月23日閲覧。
  5. ^ 平成17年度 ものつくり大学特別講座”. ものつくり大学. 2025年3月23日閲覧。
  6. ^ るみとバネの夢おいかけて ホームページ資料”. 一般財団法人国際クラブ. 2025年3月23日閲覧。
  7. ^ るみとバネの夢おいかけて”. BS12. 2022年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月23日閲覧。




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