松竹株式会社
松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 13:54 UTC 版)
松竹株式会社(しょうちく 英: Shochiku Co.,Ltd.[3])は、日本の映画、演劇の制作、興行、配給を手掛ける日本の企業。東宝、東映に次ぐ日本のメジャー映画会社「御三家」のひとつとなっている。
注釈
出典
- ^ 企業情報 - 松竹株式会社
- ^ a b c d e f g h i j k 松竹株式会社 (26 May 2021). 第155期(2020年3月1日 - 2021年2月28日)有価証券報告書 (Report). 不明な引数
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が空白で指定されています。 (説明) - ^ 松竹株式会社 定款 第1章第1条
- ^ 裏に東宝対松竹の抗争『東京朝日新聞』(昭和14年4月1日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ “松竹120年の歴史を彩る映画音楽集発売、坂本龍一が手がけた「母と暮せば」など”. 映画ナタリー (2016年1月7日). 2016年1月7日閲覧。
- ^ “松竹オープニングロゴと松竹創業120周年のロゴを、チームラボが制作”. News Detail. チームラボ (2014年12月17日). 2015年2月19日閲覧。
- ^ “松竹オープニングロゴを制作” (PDF). IMAGICAウェスト (2014年12月25日). 2015年2月19日閲覧。
- ^ “REVENGER:ニトロプラス×松竹のアニメ 2023年1月スタート 笠間淳が主人公声優に 梅原裕一郎、武内駿輔、金元寿子、葉山翔太も”. まんたんウェブ (MANTAN). (2022年10月28日) 2022年10月28日閲覧。
- ^ “歌舞伎に関する諸権利|松竹グループ 歌舞伎ライセンス ポータルサイト”. www.shochiku.co.jp. 2022年10月11日閲覧。
- ^ a b c 京都市学区大観(京都市学区調査会、1937年8月1日発行) p.550
松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 23:45 UTC 版)
すべて製作は「松竹・上方演芸・京都映画」の3社提携、配給は松竹、「押本七之輔」名義である。 『漫才学校 爆笑八人組』 : 監督穂積利昌、1956年7月22日公開 - 製作 『漫才学校 ゴリラ大暴れ』(『ゴリラ大暴れ』) : 監督穂積利昌、1956年12月19日公開 - 製作 『漫才学校 ガヤガヤホテル』(『漫才学校 第二部 ガヤガヤホテル』) : 監督穂積利昌、1957年11月5日公開 - 製作
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松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)
大庭秀雄監督による『君の名は』(1953年 - 1954年)、今井正監督『にごりえ』(1953年)、『キクとイサム』(1959年)をはじめ文芸作が大ヒット。小林正樹監督『人間の條件』(1959年 - 1962年)ではヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞、パシネッティ賞を受賞した。さらに福田晴一監督・伴淳三郎出演『二等兵物語』など、松竹がお得意とする喜劇作品もヒットした。木下惠介監督が『カルメン故郷に帰る』(1951年)、『日本の悲劇』(1953年)、『二十四の瞳』『女の園』(1954年)、『野菊の如き君なりき』(1955年)、『太陽とバラ』(1956年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、『楢山節考』(1958年)などや、小津安二郎監督も『麦秋』(1951年)、『早春』(1956年)、『彼岸花』(1958年)、『東京物語』(1953年)などを発表した。
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松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)
「大船調」といわれた松竹お得意のメロドラマ路線が、収益を呼べず、1960年に城戸四郎社長が辞任。監査役の大谷博が社長となった。松竹ヌーヴェルヴァーグと呼ばれた助監督群が相次いでデビューし、大島渚監督『青春残酷物語』(1960年)、『日本の夜と霧』(1960年)、吉田喜重監督『ろくでなし』(1960年)、『秋津温泉』(1962年)、篠田正浩監督『恋の片道切符』(1960年)、『暗殺』(1964年)などの斬新な作品群を発表するが、日米安保改定問題を扱った大島渚監督『日本の夜と霧』が封切り4日後に松竹によって興行を打ち切られる。松竹を辞めた大島渚は独立プロ創造社を起こすなど、松竹ヌーヴェルヴァーグの監督たちは後に松竹を後にした。野村芳太郎は『拝啓天皇陛下様』(1963年)などの人情喜劇、コント55号主演映画などを監督。山田洋次監督は『下町の太陽』(1963年)、『馬鹿まるだし』(1964年)、『霧の旗』(1965年)などの作品を経て、1969年より「男はつらいよシリーズ」を始める。代表作には、小津安二郎監督『秋日和』(1960年)、『秋刀魚の味』(1962年)、木下惠介監督『笛吹川』(1960年)、『永遠の人』(1961年)、『二人で歩いた幾春秋』(1962年)、『死闘の伝説』(1963年)、『香華』(1964年)、渋谷実監督『もず』(1961年)、小林正樹監督『切腹』『からみ合い』(1962年)、松山善三監督『山河あり』(1962年)、羽仁進監督『充たされた生活』(1962年)、中村登監督『古都』(1963年)、『紀ノ川』『暖春』(1966年)、『智恵子抄』『惜春』(1967年)、『わが恋わが歌』(1969年)、吉村公三郎監督の『眠れる美女』(1968年)、蔵原惟繕監督の『栄光への5000キロ』(1969年)などがある。『宇宙大怪獣ギララ』(1967年)、『吸血鬼ゴケミドロ』(1968年)などの怪獣映画も発表するがヒットには至らなかった。
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松竹(70年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)
松竹では1969年より開始された山田洋次による『男はつらいよ』のシリーズ化により国民的人気を勝ち取る事となった。このシリーズは30年近く、48本の映画が製作され、1983年、「世界最長の映画シリーズ」としてギネス・ワールド・レコーズに登録されている。
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松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:41 UTC 版)
市川欣弥 - 立役。関西の劇団を経て前進座に入座、1987年4月から三代目市川猿之助(現・猿翁)門下。1998年7月に名題昇進 市川澤路 - 女方、初代山崎杏佳。2008年2月に退座、同年10月より二代目市川亀治郎(現・猿之助)門下 澤村國久 - 女方。1990年3月劇団前進座附属養成所卒、同年11月に二代目澤村藤十郎に入門。2010年2月に名題昇進 片岡松太朗 - 立役。2008年3月に退座。同年6月より十五代目片岡仁左衛門門下 二代目中村歌門 - 談洲楼燕枝 (2代目)の長男。5代目中村歌右衛門に入門、1925年に中村福燕として初舞台。1933年に前進座に入座し、市川菊之助に改名(俳名は花妻。屋号は駒村屋)。1965年に退座、翌年より6代目歌右衛門門下。竜馬がゆく(1968年NHK大河ドラマ)では西郷隆盛を演じた 二代目中村吉五郎 - 立役。1981年4月退座、同年6月に二代目中村吉右衛門に入門。1998年9月名題昇進。伝統歌舞伎保存会会員。2021年4月30日に引退 二代目中村扇乃丞 - 女方。1984年3月、中村扇雀(四代目坂田藤十郎)に入門。1995年1月名題昇進。伝統歌舞伎保存会会員
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松竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:27 UTC 版)
文藝路線の松竹は時代劇が少なく、大船での現代劇が主で京都の撮影所では思うようには時代劇の製作は出来なかった。1951年に創立30周年記念映画でオールスターキャストの『大江戸五人男』(伊藤大輔監督)を、また1953年に八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)の井伊大老役で大作『花の生涯』(大曾根辰夫監督)を、1954年も同じ八代目松本幸四郎が大石内蔵助を演じた『忠臣蔵花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督)を、そして3年後の1957年に再び大曾根辰夫監督で『大忠臣蔵』を製作したりしたが、シリーズものとしては唄う映画スターと呼ばれた高田浩吉主演の『伝七捕物帳』シリーズぐらいで、松竹が抱える歌舞伎俳優を中核に新劇やフリーの俳優で脇を固め、これに近衛十四郎と高田浩吉を絡めてそこへ新人の森美樹を次代の時代劇スターに育てる予定であった。しかし1960年から61年にかけて森美樹が事故死し、高田浩吉と近衛十四郎は東映に移籍し、また歌舞伎界の八代目松本幸四郎ら多数が東宝へ移籍する事態となり、この時期から急速に松竹時代劇は衰退していった。1962年には忠臣蔵を製作しようにもキャストが組めず旧作の『大忠臣蔵』を再編集した『仮名手本忠臣蔵』とその後日談の『義士始末記』を新国劇の島田正吾を起用して製作する始末であった。 この他に歌舞伎座製作で松竹が配給した山本薩夫監督『赤い陣羽織』、木下恵介監督『笛吹川』、『楢山節考』、今井正監督で三國連太郎主演『夜の鼓』、小林正樹監督で仲代逹矢主演『切腹』など異色作を出しているが、やがて京都では時代劇を撮らないことを決めて、1964年に篠田正浩監督で丹波哲郎主演『暗殺』を最後に1965年に京都太秦撮影所は閉鎖された。
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