松竹とは? わかりやすく解説

松竹

読み方
松竹しょうちく
松竹まつたけ

松竹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 23:41 UTC 版)

松竹株式会社(しょうちく : Shochiku Co.,Ltd.[3])は、日本映画演劇の制作、興行、配給を手掛ける日本の企業東宝東映と並ぶ日本のメジャー映画会社「御三家」のひとつ。


注釈

  1. ^ 阿川弘之犬と麻ちゃん」では娘が松竹を「マツタケ」と読むのを見て父親の主人公が渋い顔をするシーンがあるが、この読みも強ち間違いではない事が分かる。
  2. ^ (第50話までの製作を担当していた)東伸テレビ映画が倒産したことに伴う措置

出典

  1. ^ 企業情報 - 松竹株式会社
  2. ^ a b c d e f g h i j k 松竹株式会社『第155期(2020年3月1日 - 2021年2月28日)有価証券報告書』(レポート)2021年5月26日。 
  3. ^ 松竹株式会社 定款 第1章第1条
  4. ^ 裏に東宝対松竹の抗争『東京朝日新聞』(昭和14年4月1日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  5. ^ 松竹120年の歴史を彩る映画音楽集発売、坂本龍一が手がけた「母と暮せば」など”. 映画ナタリー (2016年1月7日). 2016年1月7日閲覧。
  6. ^ 株式会社 TBS ホールディングスとの資本業務提携に関するお知らせ
  7. ^ 松竹オープニングロゴと松竹創業120周年のロゴを、チームラボが制作”. News Detail. チームラボ (2014年12月17日). 2015年2月19日閲覧。
  8. ^ 松竹オープニングロゴを制作” (PDF). IMAGICAウェスト (2014年12月25日). 2015年2月19日閲覧。
  9. ^ 東宝三十年史編纂委員会 編『東宝三十年史』 東宝 1963年 p229
  10. ^ 東宝 編『東宝75年のあゆみ ビジュアルで綴る3/4世紀 1932 - 2007』東宝、2010年4月 p215
  11. ^ 『松竹七十年史』松竹 1964 p969
  12. ^ 『東宝五十年史』東宝 1982 p480
  13. ^ 『東宝五十年史』東宝 1982 p483
  14. ^ “REVENGER:ニトロプラス×松竹のアニメ 2023年1月スタート 笠間淳が主人公声優に 梅原裕一郎、武内駿輔、金元寿子、葉山翔太も”. まんたんウェブ (MANTAN). (2022年10月28日). https://mantan-web.jp/article/20221027dog00m200069000c.html 2022年10月28日閲覧。 
  15. ^ 歌舞伎に関する諸権利|松竹グループ 歌舞伎ライセンス ポータルサイト”. www.shochiku.co.jp. 2022年10月11日閲覧。
  16. ^ a b c 京都市学区大観(京都市学区調査会、1937年8月1日発行) p.550



松竹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 23:45 UTC 版)

押本七之輔」の記事における「松竹」の解説

すべて製作は「松竹・上方演芸京都映画」の3社提携配給は松竹、「押本七之輔名義である。 『漫才学校 爆笑八人組』 : 監督穂積利昌、1956年7月22日公開 - 製作 『漫才学校 ゴリラ大暴れ』(『ゴリラ大暴れ』) : 監督穂積利昌、1956年12月19日公開 - 製作 『漫才学校 ガヤガヤホテル』(『漫才学校 第二部 ガヤガヤホテル』) : 監督穂積利昌、1957年11月5日公開 - 製作

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松竹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)

日本映画」の記事における「松竹」の解説

大庭秀雄監督による『君の名は』(1953年 - 1954年)、今井正監督にごりえ』(1953年)、『キクとイサム』(1959年)をはじめ文芸作が大ヒット小林正樹監督『人間の條件』1959年 - 1962年)ではヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞、パシネッティ賞を受賞した。さらに福田晴一監督伴淳三郎出演二等兵物語』など、松竹がお得意とする喜劇作品ヒットした木下惠介監督が『カルメン故郷に帰る』(1951年)、『日本の悲劇』(1953年)、『二十四の瞳』『女の園』(1954年)、『野菊の如き君なりき』(1955年)、『太陽とバラ』(1956年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、『楢山節考』1958年)などや、小津安二郎監督も『麦秋』(1951年)、『早春』(1956年)、『彼岸花』(1958年)、『東京物語』(1953年)などを発表した

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松竹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)

日本映画」の記事における「松竹」の解説

大船調」といわれた松竹お得意メロドラマ路線が、収益呼べず、1960年城戸四郎社長辞任監査役大谷博が社長となった松竹ヌーヴェルヴァーグ呼ばれた助監督群が相次いでデビューし大島渚監督青春残酷物語』(1960年)、『日本の夜と霧』(1960年)、吉田喜重監督ろくでなし』(1960年)、『秋津温泉』(1962年)、篠田正浩監督恋の片道切符』(1960年)、『暗殺』(1964年)などの斬新な作品群発表するが、日米安保改定問題扱った大島渚監督日本の夜と霧』が封切り4日後に松竹によって興行打ち切られる。松竹を辞めた大島渚独立プロ創造社起こすなど、松竹ヌーヴェルヴァーグ監督たちは後に松竹を後にした。野村芳太郎は『拝啓天皇陛下様』(1963年)などの人情喜劇コント55号主演映画などを監督山田洋次監督は『下町の太陽』(1963年)、『馬鹿まるだし』(1964年)、『霧の旗』(1965年)などの作品経て1969年より「男はつらいよシリーズ」を始める。代表作には、小津安二郎監督秋日和』(1960年)、『秋刀魚の味』(1962年)、木下惠介監督笛吹川』(1960年)、『永遠の人』(1961年)、『二人で歩いた幾春秋』(1962年)、『死闘の伝説』(1963年)、『香華』(1964年)、渋谷実監督『もず』(1961年)、小林正樹監督切腹』『からみ合い』(1962年)、松山善三監督山河あり』(1962年)、羽仁進監督充たされた生活』(1962年)、中村登監督古都』(1963年)、『紀ノ川』『暖春』(1966年)、『智恵子抄』『惜春』(1967年)、『わが恋わが歌』(1969年)、吉村公三郎監督の『眠れる美女』(1968年)、蔵原惟繕監督の『栄光への5000キロ』(1969年)などがある。『宇宙大怪獣ギララ』1967年)、『吸血鬼ゴケミドロ』(1968年)などの怪獣映画発表するヒットには至らなかった。

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松竹(70年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)

日本映画」の記事における「松竹(70年代)」の解説

松竹では1969年より開始され山田洋次による『男はつらいよ』のシリーズ化により国民的人気勝ち取る事となった。このシリーズ30年近く48本の映画製作され1983年、「世界最長映画シリーズ」としてギネス・ワールド・レコーズ登録されている。

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松竹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:41 UTC 版)

前進座」の記事における「松竹」の解説

市川欣弥 - 立役関西劇団経て前進座に入座、1987年4月から三代目市川猿之助(現・猿翁門下1998年7月名題昇進 市川澤路 - 女方初代山崎佳。2008年2月退座同年10月より二代目市川亀治郎(現・之助)門下 澤村國久 - 女方1990年3月劇団前進座附属養成所卒、同年11月二代目澤村藤十郎入門2010年2月名題昇進 片岡太朗 - 立役2008年3月退座同年6月より十五代目片岡仁左衛門門下 二代目中村歌門 - 談洲楼燕枝 (2代目)長男5代目中村歌右衛門入門1925年中村福燕として初舞台1933年前進座に入座し市川菊之助改名俳名花妻屋号は駒村屋)。1965年退座翌年より6代目右衛門門下竜馬がゆく1968年NHK大河ドラマ)では西郷隆盛演じた 二代目中村五郎 - 立役1981年4月退座同年6月二代目中村吉右衛門入門1998年9月名題昇進伝統歌舞伎保存会会員2021年4月30日引退 二代目中村扇乃丞 - 女方1984年3月中村扇雀四代目坂田藤十郎)に入門1995年1月名題昇進伝統歌舞伎保存会会員

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松竹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:27 UTC 版)

時代劇」の記事における「松竹」の解説

文藝路線の松竹は時代劇少なく大船での現代劇が主で京都撮影所では思うようには時代劇の製作は出来なかった。1951年創立30周年記念映画オールスターキャストの『大江戸五人男』(伊藤大輔監督)を、また1953年八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)の井伊大老役で大作花の生涯』(大曾根辰夫監督)を、1954年も同じ八代目松本幸四郎大石内蔵助演じた忠臣蔵花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督)を、そして3年後1957年に再び大曾根辰夫監督で『大忠臣蔵』を製作したりしたが、シリーズものとしては唄う映画スター呼ばれた高田浩吉主演の『伝七捕物帳シリーズぐらいで、松竹が抱え歌舞伎俳優中核新劇フリー俳優で脇を固め、これに近衛十四郎高田浩吉絡めてそこへ新人森美樹次代時代劇スターに育て予定であった。しかし1960年から61年にかけて森美樹事故死し、高田浩吉近衛十四郎東映移籍し、また歌舞伎界の八代目松本幸四郎多数東宝へ移籍する事態となり、この時期から急速に松竹時代劇衰退していった。1962年には忠臣蔵製作しようにもキャスト組め旧作の『大忠臣蔵』を再編集した『仮名手本忠臣蔵』その後日談の『義士始末記』を新国劇島田正吾起用して製作する始末であったこの他歌舞伎座製作で松竹が配給した山本薩夫監督赤い陣羽織』、木下恵介監督笛吹川』、『楢山節考』今井正監督三國連太郎主演夜の鼓』、小林正樹監督仲代逹矢主演切腹』など異色作を出しているが、やがて京都では時代劇撮らないことを決めて1964年篠田正浩監督丹波哲郎主演暗殺』を最後に1965年京都太秦撮影所閉鎖された。

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