松竹芸能
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松竹芸能株式会社(しょうちくげいのう)は、大阪府大阪市中央区北久宝寺町に本社を置く芸能事務所。松竹の連結子会社。吉本興業と並び、上方演芸界の2大プロダクションのひとつ。
注釈
- ^ 戎橋松竹の支配人だった勝忠男が興した芸能プロダクション。
- ^ 秋田實を中心に設立された芸能プロダクションで、勝忠男も関係していた、現ケーエープロダクションの母体。
- ^ その前後にも横山たかし・ひろし(吉本→松竹)、太平サブロー・シロー(松竹→吉本)のように何らかの理由で移籍した芸人は少なからずいるが、前者は横山やすしによる弟子に向かっての面罵と恫喝の様子を見るに見かねた周囲からの配慮、後者は吉本入りを熱望していたことから、師匠のレツゴー三匹が破門を言い渡して円満な移籍を実現させている。
- ^ 一例として、1975年1月1日に放送された『上方喜劇・赤目の卵やん』(朝日放送制作。山陽放送・中国放送などにネット)では笑福亭仁鶴・桂三枝・藤山寛美など吉本・松竹の両方のタレントに加え、ちあきなおみ等が出演していた(出典、中国新聞、1975年1月1日、40ページ、テレビ・ラジオ欄)。また、関西テレビ制作『爆笑寄席』では吉本所属が中心ながら松竹所属のタレントも出演していた。
- ^ 配給は親会社の松竹が担当している。
出典
- ^ 『松竹百二十年史』 松竹株式会社 2016年 P89
- ^ a b 松竹芸能株式会社 第73期決算公告
- ^ “道頓堀に松竹の新ホール/旧浪花座近く、漫才中心に”. 四国新聞 (2002年4月5日). 2024年5月5日閲覧。
- ^ “大阪・道頓堀の「B1角座」閉館 漫才師ら別れ惜しむ”. 朝日新聞デジタル (2008年5月31日). 2024年5月5日閲覧。
- ^ 松竹芸能、新劇場でよゐこらチャリティー サンケイスポーツ 2011年3月26日
- ^ 「新劇場『松竹芸能 新宿 角座』での取り組みについて」 トピックス:東北関東大震災に対する弊社の取り組みについて 松竹芸能公式 2011年3月25日
- ^ a b “DAIHATSU MOVE 道頓堀角座 閉館のお知らせ及び閉館後の公演情報について |松竹芸能株式会社”. 松竹芸能株式会社. 2018年10月13日閲覧。
- ^ “会社情報 |松竹芸能株式会社”. 松竹芸能株式会社. 2018年10月13日閲覧。
- ^ 松竹芸能、角座閉館で“間借り興行”へ 新しい常設劇場決まらず…芸人不安の声も - スポーツニッポン 2018年7月17日
- ^ “ライブ |松竹芸能株式会社”. 松竹芸能株式会社. 2018年10月13日閲覧。
- ^ “新ライブスペース「DAIHATSU 心斎橋角座」 オープンのお知らせ”. www.shochikugeino.co.jp. 松竹芸能株式会社 (2018年11月19日). 2019年1月4日閲覧。
- ^ “松竹芸能 DAIHATSU 心斎橋角座”. www.shochikugeino.co.jp. 松竹芸能株式会社. 2019年1月4日閲覧。
- ^ “松⽵芸能タレントスクールが2021年4⽉より⼤リニューアル!! 選択制のカリキュラムでなりたい⾃分に!所属タレントが参加するスペシャルプログラムも実施!! |松竹芸能株式会社”. 松竹芸能株式会社. 2022年9月5日閲覧。
- ^ 北野誠さん:不適切発言 無期限の謹慎処分に 毎日新聞 2009年4月13日
- ^ 松竹芸能:音事協を退会 北野誠さんの不適切発言で 毎日新聞 2009年4月15日
- ^ 労働審判:「名ばかり役員」解雇 松竹芸能の元執行役員、地位確認を申し立て
- ^ 「オセロ松嶋さんが解散発表」 『産経新聞』 2013年4月12日付け、東京本社発行15版、28面。
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