さんけい‐しんぶん【産経新聞】
産経新聞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 16:18 UTC 版)
産経新聞(さんけいしんぶん、題字: 產經新聞、英: THE SANKEI SHIMBUN)は、産業経済新聞社が発行する日本の新聞。全国紙5紙の中では最も販売部数が少なく、ブロック紙である中日新聞(東京新聞)の方が多い。販売部数も全国津々浦々というわけではなく、関西地方と関東地方に集中している[2]。
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- ^ a b 但し、欄外の題字や、一般的な呼称はこの当時から1988年5月に漢字の題字に戻すまで「サンケイ」(片仮名)を既に使用していた。また、1969年5月まで「時事新報合同」を題字下に明記していた。
- ^ それまで九州総局は報道提携を結んでいた西日本新聞社の本社(福岡市中央区天神)にあった。
- ^ ただし、当初の連載企画時に協力していた地元の有名店「カドヤ食堂」は、カップ麺の発売に先だって一切無関係であることを言明。また、それまでの協力関係も全て解消したとしている[8]。
- ^ 冷戦当時はソ連に対し特に批判的であった。
- ^ 朝日新聞デジタルが2013年10月に「皇室とっておき」を新設してこれに続いた。
- ^ 親会社であるフジテレビはFNN北京支局を東海テレビが設置。
- ^ 当時、日本の全国紙としては、最後まで中国内に残留していた朝日新聞北京特派員秋岡家栄は、林彪が死亡したのではないかとの報道を北京に変化なしとして否定していた。
- ^ 日経は系列にスポーツ新聞もない
- ^ 一時期、分社化してそれぞれ「フジ新聞社」、「サンケイスポーツ新聞社」から発行していたが、1987年11月に再統合された。ブロック紙系列のスポーツ紙<道新スポーツ、中日スポーツ・東京中日スポーツ、デイリースポーツ、西日本スポーツ>も同様にそれぞれの各発行元の新聞社<北海道新聞社、中日新聞社・中日新聞東京本社(東京新聞)、神戸新聞社、西日本新聞社>の発行である。スポーツニッポンは、毎日新聞グループホールディングスに経営統合されたが、現在もその傘下にある「スポーツニッポン新聞社」が発行している。またスポーツ報知発行元の報知新聞社は読売新聞グループ本社系列であるが、グループ本社の直営ではない。
- ^ 水野はこの時点で既に文化放送社長でもあったため、新聞・テレビ・ラジオ全てを握ったことになり「マスコミ三冠王」と評される。
- ^ 紙面『正論』欄の第1回は当時防衛大学校校長だった猪木正道が執筆した。
- ^ 日垣の執筆分はのちに『敢闘言 さらば偽善者たち』にまとめられ、文春文庫から出版された。
- ^ ほとんどの新聞は“2011年(平成23年)1月1日”のように西暦を先頭に表記している。系列のサンケイスポーツ及び東京スポーツ、静岡新聞、熊本日日新聞は産経新聞と同様、平成23年(2011年)の表記となっている。
- ^ 一例として、「【東京五輪】酷暑対策でサマータイム導入へ 秋の臨時国会で議員立法 31、32年限定」、産経ニュース、2018年8月6日付記事、2019年8月30日閲覧。
- ^ オイルショックの発生による製紙事情により、日本政府から日本新聞協会加盟の各新聞社に頁数の削減の要請を行ったことにより、それまでの二分冊をやめて、「ホームニュース」で別々に掲載していたテレビとラジオの番組表を一体化して最終頁の掲載にした[67]
- ^ 2015年(平成27年)4月より宮城県黒川郡大和町の読売新聞仙台工場にて印刷。
- ^ 川越と藤岡はそれぞれ2019年(平成31年)3月下旬より、閉鎖された所沢センターに代わる委託印刷先となっている[75]読売新聞の工場。
- ^ 2016年(平成28年)10月より「山陽新聞社新聞製作センター」への委託印刷に切り替え[76]。
- ^ 読売新聞坂出工場にて印刷。産経の岡山工場では岡山・広島県向けの読売新聞も印刷していたが、読売新聞が広島県尾道市に建設していた新工場の稼動開始により2008年(平成20年)10月で委託契約を解消した。
- ^ 2009年(平成21年)10月1日付より毎日新聞九州センターの工場(鳥栖と北九州のいずれかで調整していたが、最終的に鳥栖に決定)に委託しての現地印刷を開始。2012年(平成24年)9月1日付から毎日新聞九州センター北九州工場でも委託印刷が開始された。
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