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柴田穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 23:33 UTC 版)

柴田 穂(しばた みのる、1930年3月21日 - 1992年2月1日[1])は日本のジャーナリストサンケイ新聞論説委員長。

人物

東京生まれ。東京外国語大学外国語学部中国語科卒業。

1954年産経新聞社に入社。のちソウル特派員、および北京支局長となる。紅衛兵らによる文化大革命について、1964年に決まった「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」もあり制約された報道だったが、柴田は壁新聞をよみこなし、権力闘争と看破し取材報道、1967年9月に中華人民共和国を追放となる。その後も中国や北朝鮮に対し客観的な観点で著作を行った。産経新聞論説委員に就任。1979年には『毛沢東の悲劇』シリーズを出版する。1984年には、『金日成の野望』を出版し、日本のマスコミや出版社が取り上げない中、北朝鮮の人権抑圧の問題や、在日朝鮮人の帰還事業を、詳しく文章化する。

1992年に亡くなるまで数年間は病に倒れ面会謝絶だった。

著書

現代中国

  • 『報道されなかった北京 私は追放された』サンケイ新聞出版局、1967年
  • 『文革の三年 ドキュメント』伊藤喜久蔵共著、経済往来社、1968年
  • 周恩来の時代』中央公論社、1971年
  • 『現代中国人物100選』秋田書店、1973年
  • 毛沢東と周恩来』浪曼、1974年
  • 『毛・周以後の中国』教育社入門新書、1978年
  • 『新中国三国志 毛王朝秘史』日本工業新聞社、1978年
  • 『中国近代化を演出する男・鄧小平』山手書房、1978年
  • 『柴田穂の中国診断』経済往来社、1979年
  • 鄧小平と中国の権力構造 党・行政・軍を完全掌握した』教育社入門新書、1983年
  • 『悪の謀略学:朝鮮半島・中ソ・台湾の命運と日本』光文社カッパ・ビジネス、1987年11月。ISBN 978-4334012144
    『毛沢東の悲劇』サンケイ新聞社、1979年7月-12月
    • 「第1巻 文化大革命の発端」 ASIN B000J8GCWS
    • 「第2巻 文化大革命の激動」 ASIN B000J8FPBC
    • 「第3巻 文化大革命の混迷」 ASIN B000J8EEPK  
    • 「第4巻 後継者林彪の転落」 ASIN B000J8DHQW
    • 「第5巻 周恩来の時代」 ASIN B000J8CR4U 

朝鮮半島関連

金日成の野望
訳書

脚注

  1. ^ 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.299



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