昭和25年 (かのえとら 庚寅)
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年(年号) | |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 |
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●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 |
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1950年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/10 06:56 UTC 版)
1950年(1950 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。昭和25年。
- 1 1950年とは
- 2 1950年の概要
- 3 他の紀年法
- 4 不明
- 5 ノーベル賞
1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)
「高松市の歴史」の記事における「1950年(昭和25年)」の解説
昭和天皇四国巡幸 屋島ケーブルの運転が再開される。 市立木太中学校と市立花園中学校が統合され、市立玉藻中学校と改称される(2月)。 市制施行60周年を迎え記念式典が行われる。 高松市営競輪場が開場する。 衣料切符の廃止 高松市立図書館が落成する。 香川県内の農地改革終了する。
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 14:44 UTC 版)
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:31 UTC 版)
「衆議院議員総選挙」の記事における「1950年(昭和25年)」の解説
公職選挙法(昭和25年4月15日法律第100号)施行(衆議院議員選挙法廃止)。中選挙区制。
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:12 UTC 版)
朝鮮戦争勃発。海上保安庁掃海部隊を朝鮮半島近海に派遣する。日本は朝鮮特需により経済復興が加速。警察予備隊(現・陸上自衛隊)発足。
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 04:32 UTC 版)
そして終戦後の1950年(昭和25年)6月、新しい電波法の下に施行された最初の「無線局運用規則」の第76,80,82,85,89条の条文中および「別表第2号の2」において、ようやく遭難信号SOSが登場したのである。 2018年(平成30年)時点では電波法第52条第1号にある遭難通信に使われる遭難信号として、総務省令 無線局運用規則の「別表第2号の2の(1)」にSOSが残っている。
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:28 UTC 版)
「日本におけるアメリカ軍機事故の一覧」の記事における「1950年(昭和25年)」の解説
3月28日 - 愛知県名古屋市の東方約46キロメートルの地点にC-47輸送機が墜落。乗員4名のうち死亡3名、重傷1名。 4月21日 - 嘉手納基地から立川基地に向かっていた空軍のC-54輸送機が、丹沢山系にある蛭ヶ岳の山頂付近に墜落し乗っていた35名全員が死亡した。またこの事故により山火事が発生し2平方キロメートルの広大な範囲の森林が燃えた。詳細は「神奈川県蛭ヶ岳米軍機墜落事故」を参照 6月18日 - 三沢基地を離陸したまま行方不明だった米軍機の残骸が太平洋上で発見された。乗員1名は行方不明。 7月27日 - 羽田空港を離陸し九州へ飛行していたC-47輸送機が伊豆大島南方約19キロメートルの洋上に墜落。乗員等6名は行方不明。 8月 - アメリカ統治中の沖縄の読谷村に米軍機の増槽が落下して住民1名が死亡。 9月11日 - B-29爆撃機1機が九州西方の東シナ海に墜落。乗員12名中3名は救助されたが9名が行方不明。 9月26日 - C-54輸送機が芦屋飛行場を離陸直後に海へ墜落。乗員51名のうち28名が救助されたが、23名が死亡した。 9月27日 - 山口県岩国市横山に中型爆撃機が墜落して民家が全焼。住民3名が死亡して5名が負傷した。 10月5日 - 福島県耶麻郡慶徳村(現喜多方市)の水田にB-29爆撃機1機が墜落。乗員11名はパラシュートで脱出したが、うち1名が負傷した。 12月 - 鳥取県西伯郡大山町の孝霊山にB-26爆撃機1機が墜落。乗員全員が死亡。
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:21 UTC 版)
「連合国軍占領下の日本」の記事における「1950年(昭和25年)」の解説
1月 地方政治が進駐軍政から離れる。 2月14日 ソ連が中華人民共和国と中ソ友好同盟相互援助条約を締結し、条文で日本を仮想敵国と名指しする。 この頃、日本との講和を推進する米国務省と、米軍の日本駐留を継続するために日本再独立に反対する米国防総省が対立。 4月25日 池田勇人蔵相が白洲次郎らと共に税法問題交渉のため渡米。ジョゼフ・ドッジと面談し、講和後の米軍駐留を日本から提案する旨を通達(池田ミッション)。 5月12日 日本の漁獲水域を南へ拡大(北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内)。 6月6日 マッカーサー、日本共産党中央委員24名を公職追放。 6月16日 国家地方警察、全国のデモ・集会禁止を発令。 6月25日 朝鮮戦争勃発(1953年まで)。在日占領軍が韓国を支援するため出動し、日本が前線基地となる。 7月 小倉で朝鮮派遣を控えた黒人米兵達が完全武装で集団脱走。強姦や略奪を繰り返すが、全員が憲兵に逮捕され、戦線に送られた(ほぼ全員が戦死したという)。情報統制の結果、ほとんどの日本国民が事件を知らなかった(小倉黒人米兵集団脱走事件)。 7月8日 マッカーサー、吉田首相に警察力強化(警察予備隊7万5000名の創設と海上保安庁8000名増員)を求める書簡を送る。 7月24日 GHQ/SCAP、共産党幹部逮捕と新聞協会代表に共産党員の追放を勧告(レッドパージ)。共産党書記長徳田球一、中国へ亡命。 8月10日 警察予備隊令を公布。総理府の機関として、警察予備隊が置かれる。 8月23日 警察予備隊第一陣7000名が入隊。 8月27日 第2次アメリカ教育使節団来日。 8月30日 全労連の解散を命令。 9月14日 トルーマン大統領、対日講和と安全保障条約交渉の開始を指令。 10月 海上保安庁が朝鮮半島に特別掃海隊を派遣(国民には秘匿)。 11月10日 NHK東京テレビジョン実験局、テレビの定期実験放送を開始。 11月24日 米国政府、「対日講和7原則」を発表。日本への請求権放棄と、日本防衛を日米共同で行う旨を明記。
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:28 UTC 版)
「出入国在留管理庁」の記事における「1950年(昭和25年)」の解説
10月1日:外務省の外局として「出入国管理庁」が設置される(入国管理部は廃止)。これに伴い、外国人登録業務が法務府民事局から移管される。
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1950年(昭和25年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:37 UTC 版)
「1946年-1960年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1950年(昭和25年)」の解説
前年に復活した特別急行列車である「へいわ」は、この年の元日から公募により、かつての花形列車の愛称である「つばめ」に改められ、好評であったことから、5月11日にはその姉妹列車として「はと」も運転が開始された。 またインフレーションもこの頃には収束に向かいつつあり、国鉄の財政はなお厳しいものであったが4月1日に運賃改訂がなされ、三等車に関する通行税が全廃されたことと、遠距離逓減制の細分化がなされた結果、特に長距離区間に関しては値下げとなり、二等車の運賃も三等車の3倍から2倍へ改められている。 そんな中、10月1日に再びダイヤが改正され、列車の大増発と速度向上がはかられた。「つばめ」、「はと」による東京 - 大阪の所要時間が戦前の水準(8時間運転)を回復し、湘南電車と呼ばれた80系電車を使った日本初の電車による準急列車として「あまぎ」が新設されている。詳しくは1950年10月1日国鉄ダイヤ改正を参照。 また11月1日には、それまで特急の「つばめ」、「はと」と、急行「銀河」、さらに温泉準急列車の「いでゆ」、「いこい」、快速列車の「あかぎ」程度しか存在しなかった列車愛称を多くの急行列車に採用し、「霧島」、「安芸」などの愛称が生まれた。
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「1950年」の例文・使い方・用例・文例
- その会社は1950年に創立された
- その島は1950年にこの国に返還された
- 彼女は1950年に生まれた
- 1950年の冬に
- この家は1950年に建てられました。
- 彼は1950年に静岡で生まれました。
- ロシアは1950年代後半に徐々に非スターリン化された
- 1950年代初期に、コンピュータは大きく、高価で、信頼性が低かった
- 1950年代に中国で報告された雪
- 朝鮮戦争中の戦い(1950年)
- 朝鮮戦争における戦い(1950年11月)
- 1950年代に攻撃的なアフリカのハチとミツバチとの折衷としてブラジルで起こったハチの品種
- 1950年代に英国に現れて、1960年代に米国と英国で普及した美術の流派
- 特に1950年代と1960年代の共産主義中国の思想上の障壁
- ゴスペルの斉唱からニューヨーク市で進化した1950年代の黒人の声のハーモニーの音楽のジャンル(通常アカペラの)
- 1950年代に人気があった黒人音楽とカントリー音楽の融合
- 1950年代に生まれたダンス音楽の一種
- 1950年代に復活した伝統的なジャズ
- 1950年代のポピュラーミュージックのスタイル
- 1950年代にジャマイカのキングストンのスラム街で起こった黒人の若者のサブカルチャーと宗教的な運動
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