よしの‐げんざぶろう〔‐ゲンザブラウ〕【吉野源三郎】
吉野 源三郎 (よしの げんざぶろう)
1899〜1981 (明治32年〜昭和56年) |
【児童文学者】 岩波書店の看板雑誌「世界」の初代編集長。「君たちはどう生きるか」は、今も最良の人生入門書。 |
昭和期の編集者・評論家・児童文学者。東京都出身。東大卒。明治大学講師を経て、1935年(昭和10)新潮社の「日本少国民文庫」の編集主任となった。37年中学生コペル君の成長物語「君たちはどう生きるか」を少年少女向けに執筆、高い評価を得た。同年岩波書店に入社。第二次大戦後は月刊雑誌「世界」の初代編集長となり、戦後の進歩的社会派論壇をリードした。 |
年(和暦) | ||
●1903年 (明治36年) | ■江戸開府300年 | 4才 |
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 | 5才 |
●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 | 8才 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 | 11才 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 | 19才 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 | 24才 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 | 29才 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 | 33才 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 | 37才 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 | 42才 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 | 46才 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 | 47才 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 | 52才 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 | 54才 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 | 57才 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 | 61才 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 | 61才 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック | 65才 |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に | 69才 |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 | 71才 |
●1971年 (昭和46年) | ■環境庁設置 | 72才 |
●1973年 (昭和48年) | ■第1次オイルショック | 74才 |
●1976年 (昭和51年) | ■ロッキード事件 | 77才 |
●1978年 (昭和53年) | ■日中平和友好条約 | 79才 |
●1978年 (昭和53年) | ■成田空港開港 | 79才 |
●1979年 (昭和54年) | ■第2次オイルショック | 80才 |
・早川 徳次 | 1893年〜1980年 (明治26年〜昭和55年) | +6 |
・加藤 シヅエ | 1897年〜2001年 (明治30年〜平成13年) | +2 |
・淺沼 稲次郎 | 1898年〜1960年 (明治31年〜昭和35年) | +1 |
・土方 与志 | 1898年〜1959年 (明治31年〜昭和34年) | +1 |
・溝口 健二 | 1898年〜1956年 (明治31年〜昭和31年) | +1 |
・近衛 秀麿 | 1898年〜1973年 (明治31年〜昭和48年) | +1 |
・田河 水泡 | 1899年〜1989年 (明治32年〜平成元年) | 0 |
・阪東 妻三郎 | 1901年〜1953年 (明治34年〜昭和28年) | -2 |
・小林 秀雄 | 1902年〜1983年 (明治35年〜昭和58年) | -3 |
・近藤 真柄 | 1903年〜1983年 (明治36年〜昭和58年) | -4 |
・古川 縁波 | 1903年〜1961年 (明治36年〜昭和36年) | -4 |
・美濃部 亮吉 | 1904年〜1984年 (明治37年〜昭和59年) | -5 |
・堀 辰雄 | 1904年〜1953年 (明治37年〜昭和28年) | -5 |
・榎本 健一 | 1904年〜1970年 (明治37年〜昭和45年) | -5 |
吉野源三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 15:14 UTC 版)
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。
- ^ 『官報』第2922号、大正11年5月2日、p.43
- ^ 『明治大学一覧 : 付・卒業生年度別 昭和12年11月』明治大学事務局、1937年11月、p.240
- ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ Yahoo!百科事典
- ^ 平和問題談話会「講和問題についての平和問題談話会声明」『世界』第51号、岩波書店、1950年3月、 60-64頁、 ISSN 0582-4532。
- 1 吉野源三郎とは
- 2 吉野源三郎の概要
- 3 著作
- 4 関連文献
「吉野 源三郎」の例文・使い方・用例・文例
- 吉野は桜で有名です
- 吉野ヶ里遺跡は日本で有名です。
- 吉野の有名な特産物として吉野葛があります。
- 吉野は桜の名所です。
- 吉野の春に南朝の昔を偲ぶ
- 吉野の里に
- 染井吉野という植物
- 中央構造線という,諏訪湖付近から紀伊半島,四国の吉野川,九州中央部を通る地質構造線
- 吉野川という川
- 日本で,吉野朝という朝廷
- 吉野宮という,日本古代の離宮
- 吉野という,奈良県の町
- 吉野という,徳島県の町
- 吉野という,吉野川流域の地域
- 吉野紙という和紙
- 吉野山に咲く桜
- 吉野朝という,南北朝時代に吉野にあった朝廷
- 最大手の牛丼会社である吉野家ディー・アンド・シーは,2月11日にほぼすべての店で,牛丼を出すのを終了した。
- ある男性は最後の牛丼を食べようと,東京のある吉野家の店に立ち寄った。
- 別の男性は,他の3軒の吉野家がすでに品切れだったので,遠方から車でこの店にやってきた。
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