テレビ放送開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 07:43 UTC 版)
「ロボテック」は1985年に全米ネットではなく、ローカル各局で放映された。これは1980年代のアニメ・シリーズ全般にみられる傾向である。それまでローカル局では土曜日の朝に、『ルーニー・テューンズ』のような子供向けカートゥーンや、ネットワーク局で放送されたショーを再放送していた。しかし、米国のアニメーション・シリーズ、He-Man and the Masters of the Universe によって新しい営業スタイルが提案されると、この状況は一変した。これは放送局が未放送の新作アニメを直接購入し、アニメは玩具メーカーのスポンサーの収益で制作するというものである。 しかしながら「ロボテック」の視聴率は良好だったものの、そのファン層は比較的高年齢層であったので、必ずしも玩具や模型販売の対象者とはならなかった。こうした状況下、マテル社のミニカー・ブランドのマッチボックス社(英: Matchbox)の玩具販売の失敗は『ロボテック II:センチネル』(英: Robotech II: The Sentinels)テレビシリーズとしての制作中止(のちにウォルトリップ兄弟による漫画版で続きが描かれた)の最大の原因であった[要出典]。
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テレビ放送開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 01:03 UTC 版)
全国で8番目、四国では初の民放テレビ放送の開局で、送信所は五色台・青峰(高松市中山町)に設置された。 送信所設置候補地としては、五色台・青峰の他に岡山県側の金甲山も挙がったが、当時の社長の判断で五色台・青峰となった。 当初、開局は1958年(昭和33年)10月頃となる予定だったが、山陽放送(RSK、当時の愛称はラジオ山陽)が同年6月にテレビジョン放送を開局することを聞き、急遽、RSKの送信機を製造した神戸工業(現在のデンソーテン)にRSKと同仕様の送信機製造を依頼し、なんとかRSKの1ヶ月遅れでの開局(香川・岡山地区では、NHK岡山テレビジョン、ラジオ山陽テレビに次いで3局目の開局)に持ち込んだという逸話が残っている。 開局当初は、本社と演奏所にテレビマスター・テレビスタジオのスペースがなく、現本社落成まで、青峰送信所内にテレビマスターと仮設スタジオを設置した。 香川県・岡山県南部・広島県南東部・兵庫県南西部などをサービスエリアとしていた実質的な準広域局であったが、放送対象地域としては香川県のみであった。そのため、テレビは香川県内(五色台青峰)に本局の送信所(9ch、現在の本局と同じチャンネル)を置き、中継局も香川県内のみに置いていた。ただ前述の通り、隣接の岡山県にも電波が届く地域が多かった。
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