溝口 健二とは?

みぞぐち‐けんじ【溝口健二】


溝口 健二 (みぞぐち けんじ)

1898〜1956 (明治31年昭和31年)
映画監督】 ワンシーンワンカットの長回しで、世界巨匠に。妥協を許さず「ゴテ健」と呼ばれた。
大正昭和期映画監督東京都本郷出身1920年大正9)日活入社22年愛に甦へる日」で監督となり、「浪華悲歌」「滝の白糸」などで無声映画時代地位確立第二次世界大戦後は、「西鶴一代女」(52年)「雨月物語」(53年)「山椒大夫」(54年)の3作品が、ベネチア国際映画祭3年連続受賞栄誉輝いた。若い頃に学んだ絵画センスとワンシーンワンカットの独特の技法は、仏のヌーベルバーグ作家多大影響を与えた。

 年(和暦)
1903年 (明治36年) 江戸開府300年 5才
1904年 (明治37年) 日露戦争 6才
1907年 (明治40年) 足尾銅山暴動 9才
1910年 (明治43年) 韓国併合 12
1918年 (大正7年) 米騒動 20才
1923年 (大正12年) 関東大震災 25
1928年 (昭和3年) ■初の普通選挙実施 30
1932年 (昭和7年) 五・一五事件 34
1936年 (昭和11年) 二・二六事件 38
1941年 (昭和16年) ■対英米宣戦布告 43
1945年 (昭和20年) ポツダム宣言受諾 47
1946年 (昭和21年) 日本国憲法公布 48
1951年 (昭和26年) サンフランシスコ講和条約 53
1953年 (昭和28年) テレビ放送開始 55
1956年 (昭和31年) 国際連合加盟 58


 人物
芥川 龍之介 1892年1927年 (明治25年昭和2年) +6
西条 八十 1892年1970年 (明治25年昭和45年) +6
早川 徳次 1893年1980年 (明治26年昭和55年) +5
加藤 シヅエ 1897年2001年 (明治30年平成13年) +1
淺沼 稲次郎 1898年1960年 (明治31年昭和35年) 0
土方 与志 1898年1959年 (明治31年昭和34年) 0
近衛 秀麿 1898年1973年 (明治31年昭和48年) 0
吉野 源三郎 1899年1981年 (明治32年昭和56年) -1
田河 水泡 1899年1989年 (明治32年平成元年) -1
阪東 妻三郎 1901年1953年 (明治34年昭和28年) -3
小林 秀雄 1902年1983年 (明治35年昭和58年) -4
近藤 真柄 1903年1983年 (明治36年昭和58年) -5
古川 縁波 1903年1961年 (明治36年昭和36年) -5
美濃部 亮吉 1904年1984年 (明治37年昭和59年) -6
堀 辰雄 1904年1953年 (明治37年昭和28年) -6
榎本 健一 1904年1970年 (明治37年昭和45年) -6

溝口 健二

溝口健二の画像 溝口健二の画像
芸名溝口 健二
芸名フリガナみぞぐち けんじ
性別男性
生年月日1958/8/21
星座しし座
干支戌年
血液型B
出身地茨城県
身長175 cm
URLhttp://hanagumi.ne.jp/yaku/mizoguti.html
ブログURLhttp://hanagumi.ne.jp/t/mizoguti/
靴のサイズ25 cm
プロフィール東京工学院専門学校演劇科卒業1987年、『ザ・隅田川』(旗揚げ公演)より花組芝居参加。映画・テレビドラマCMラジオドラマなど芝居のほか、外部出演積極的に行う。
代表作品1年2007
代表作品1舞台『KANADEHON忠臣蔵
代表作品2年2003
代表作品2舞台夜叉ヶ池
代表作品3年1994
代表作品3映画『写楽
職種俳優女優タレント/話す仕事
資格・免許普通二輪/普通自動車

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溝口健二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 06:20 UTC 版)

溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、日本映画監督である。日本映画を代表する監督のひとりで、1920年代から1950年代にわたるキャリアの中で、『祇園の姉妹』(1936年)、『残菊物語』(1939年)、『西鶴一代女』(1952年)、『雨月物語』(1953年)、『山椒大夫』(1954年)など約90本の作品を監督した。ワンシーン・ワンショットや移動撮影を用いた映像表現と完全主義的な演出で、社会や男性の犠牲となる女性の姿をリアルに描いたことで知られている。小津安二郎黒澤明とともに国際的にも高い評価を受けており、1950年代にはヴェネツィア国際映画祭で作品が3年連続で受賞し、フランスヌーヴェルヴァーグの監督などにも影響を与えた。


注釈

  1. ^ 映画評論家の岸松雄によると、溝口の監督作『浪華悲歌』(1936年)に登場する主人公の頑固で卑屈な父親は、溝口の父をモデルにしているという[8]
  2. ^ 松平忠正は寿々を深く愛したが、当時は華族の結婚は宮内庁の許可が必要で、芸者である寿々との結婚は許されなかった。寿々は忠正の妾として4人の子を産んだが、独身だった忠正は他の華族から正妻を迎えさせられた[9]。その正妻は1926年に死去したが、寿々の妾という地位は変わらなかった。1947年に華族制度が廃止され自由結婚が認められると、忠正と寿々は正式に結婚した[10]
  3. ^ 当時葵橋洋画研究所で塾頭をしていたのが和田三造であり、後年に溝口はその関係で『新・平家物語』(1955年)の色彩監修に和田を起用している[8]
  4. ^ 溝口の回想によると、検閲でカットされ琵琶劇を入れて公開した作品は『愛に甦る日』であるとし、「農民が金持に向って騒ぐところなんかがあるのでね、警視庁に呼びつけられて切られてしまいましたよ」と述べている[18]。しかし、映画研究者の佐相勉は、「農民が金持に向って騒ぐ」場面があるのは『愛に甦る日』ではなく『故郷』の方であり、溝口の回想は記憶違いであるとしている[19]。なお、溝口は『故郷』について「よく覚えていない」と述べている[18]
  5. ^ 『赫い夕陽に照らされて』は三枝源次郎に監督を交代して完成した[25]
  6. ^ 岸松雄によると、百合子はその後生活に困って洲崎の娼妓に身を沈めたが、以後も不幸な生活が続き、数年後に長野県で自殺したという[25]
  7. ^ この表記の変更には、当時の日本映画界が監督を管理し、その権限を縮小させたり、表現の自由を制限させたりする目的で「演出」の呼称を使っていたという背景があった。例えば、プロデューサー・システムを導入した東宝などの映画会社は、監督を他のスタッフと同列に扱ってクレジットに「演出」と表記し、戦時中の映画法でも監督を「演出」と呼称した。溝口は一人の監督として、日本映画監督協会理事長として、これに断固として反対した[61]
  8. ^ 溝口賞の受賞者は、第1回が『』の今井正八木保太郎、第2回が『楢山節考』の木下惠介、第3回が『彼岸版』の小津安二郎と『浮草』『』の宮川一夫である[76]

出典

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