たがわ‐すいほう〔たがはスイハウ〕【田河水泡】
田河 水泡 (たがわ すいほう)
1899〜1989 (明治32年〜平成元年) |
【漫画家】 前衛芸術から漫画へ転身。「のらくろ」は国民的漫画キャラクター第一号に。 |
昭和期の漫画家。東京都深川生まれ。日本美術学校図案科卒業。在学中前衛美術団体マヴォに参加。その後、新作落語作家などを経て漫画家になる。1931年(昭和6)発表の「のらくろ二等兵」で一躍人気作家となった。のらくろシリーズは80年まで続き、軍隊で大尉まで昇進した。戦後編はあまり知られていないが、引揚げてノラ犬に戻り、様々な曲折の末、お銀ちゃんと結婚、最後は喫茶店のマスターとなった。他に代表作「鮹の八ちゃん」 |
年(和暦) | ||
●1903年 (明治36年) | ■江戸開府300年 | 4才 |
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 | 5才 |
●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 | 8才 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 | 11才 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 | 19才 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 | 24才 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 | 29才 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 | 33才 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 | 37才 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 | 42才 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 | 46才 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 | 47才 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 | 52才 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 | 54才 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 | 57才 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 | 61才 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 | 61才 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック | 65才 |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に | 69才 |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 | 71才 |
●1971年 (昭和46年) | ■環境庁設置 | 72才 |
●1973年 (昭和48年) | ■第1次オイルショック | 74才 |
●1976年 (昭和51年) | ■ロッキード事件 | 77才 |
●1978年 (昭和53年) | ■日中平和友好条約 | 79才 |
●1978年 (昭和53年) | ■成田空港開港 | 79才 |
●1979年 (昭和54年) | ■第2次オイルショック | 80才 |
●1982年 (昭和57年) | ■東北・上越新幹線開通 | 83才 |
●1983年 (昭和58年) | ■大韓航空機撃墜事件 | 84才 |
●1985年 (昭和60年) | ■日航ジャンボ機墜落事件 | 86才 |
●1986年 (昭和61年) | ■国鉄分割・民営化 | 87才 |
●1989年 (平成元年) | ■ODA世界第1位となる | 90才 |
●1989年 (平成元年) | ■消費税導入 | 90才 |
・早川 徳次 | 1893年〜1980年 (明治26年〜昭和55年) | +6 |
・加藤 シヅエ | 1897年〜2001年 (明治30年〜平成13年) | +2 |
・淺沼 稲次郎 | 1898年〜1960年 (明治31年〜昭和35年) | +1 |
・土方 与志 | 1898年〜1959年 (明治31年〜昭和34年) | +1 |
・溝口 健二 | 1898年〜1956年 (明治31年〜昭和31年) | +1 |
・近衛 秀麿 | 1898年〜1973年 (明治31年〜昭和48年) | +1 |
・吉野 源三郎 | 1899年〜1981年 (明治32年〜昭和56年) | 0 |
・阪東 妻三郎 | 1901年〜1953年 (明治34年〜昭和28年) | -2 |
・小林 秀雄 | 1902年〜1983年 (明治35年〜昭和58年) | -3 |
・近藤 真柄 | 1903年〜1983年 (明治36年〜昭和58年) | -4 |
・古川 縁波 | 1903年〜1961年 (明治36年〜昭和36年) | -4 |
・美濃部 亮吉 | 1904年〜1984年 (明治37年〜昭和59年) | -5 |
・堀 辰雄 | 1904年〜1953年 (明治37年〜昭和28年) | -5 |
・榎本 健一 | 1904年〜1970年 (明治37年〜昭和45年) | -5 |
田河水泡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 10:09 UTC 版)
田河 水泡(たがわ すいほう、1899年〈明治32年〉2月10日 - 1989年〈平成元年〉12月12日)は、日本の漫画家、落語作家。本名︰高見澤 仲太郎(たかみざわ なかたろう)。
注釈
出典
- ^ 小林秀雄「考えるヒント」
- ^ 高見沢潤子『長く生きてみてわかったこと』大和書房、1998年
- ^ 高見沢潤子インタビューNHK教育テレビの「こころの時代」1998年7月5日放映
- ^ “のらくろ一代記 田河水泡自叙伝”. 講談社BOOK倶楽部. 2022年10月14日閲覧。
- ^ 伊吹隼人『「トキワ荘」無頼派漫画家・森安なおや伝』社会評論社、2010年、pp.27 - 28
- ^ 「仕事への情熱ますます盛ん 森繁 久弥さん 田川 水泡さん/秋の叙勲」『読売新聞』1987年11月3日朝刊
- ^ “田河水泡とは?”. 森下文化センター. 2022年10月28日閲覧。
- ^ “【山根青鬼画業70周年展】14歳のデビューから今も現役で活動、これまでの歩みとエピソードを語る”. 実業之富山Web版. 2022年10月28日閲覧。
- ^ 『のらくろ一代記 田河水泡自叙伝』より
- ^ “鹿児島市民歌や多くの校歌を作詞…故高城俊男さんの業績しのぼう 没後25年、家族が情報提供呼びかけ”. 南日本新聞 (2022年10月31日). 2022年11月10日閲覧。
- ^ 田河水泡・のらくろ館 | 森下文化センター | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団
- ^ 『NHK文化講演会15』所収「人生みな恩人」p.200(日本放送出版協会、1987年)
- ^ 「人間の記録」日本図書センター(2010年)で新版復刊
「田河 水泡」の例文・使い方・用例・文例
- 隅田河は東京市中を貫流する
- 隅田河の下流
- 隅田河は東京湾に落ちる
- 彼の野心は水泡に帰した
- 手のひらに水泡ができている
- 彼女のすべての努力は水泡に帰した。
- 彼の努力は水泡に帰した。
- 彼のミスがその計画を水泡に帰した。
- 私たちの努力は水泡に帰した。
- キング牧師が献身的に力を尽くしたものすべてが水泡に帰したかのように思われた。
- 私の希望は水泡に帰した.
- 彼の最大の望みも水泡に帰した.
- 我々の努力は水泡に帰した.
- 彼の努力は水泡に帰した.
- 我々の努力はすべて水泡に帰した.
- 多年の労水泡に帰す
- 水泡に帰す
- 私のすべての努力は水泡に帰した
- 正常な皮膚や粘膜から薄い皮で覆われた大きな水泡(ブラ)が形成される皮膚病
- クロナルチウム属のサビ菌によって引き起こされるマツの疾患の総称で、樹皮と液材を侵し外部に水泡を生じる
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