軍隊生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 17:04 UTC 版)
「ティモシー・マクベイ」の記事における「軍隊生活」の解説
1988年、マクベイはアメリカ陸軍に入隊した。マクベイはアメリカ陸軍の一兵士として湾岸戦争にも従軍し、ブロンズ・スター・メダルを授与された。湾岸戦争前にカンザス州のフォート・リレイ基地に所属しそこでトップクラスの狙撃成績を残している他、湾岸戦争では1発の銃弾でイラク兵2名を射殺している。その際、敵が2人いたにもかかわらず、一発しか銃を撃たなかったので、上官が「なぜ撃つのをやめた?」と聞いたが、「もう倒した」とマクベイは答えた。マクベイは極めて優秀な兵士として表彰され、新兵の訓練所で講義を依頼された事もあった。マクベイは陸軍の特殊部隊であるグリーン・ベレーに入りたがっていた。マクベイは湾岸戦争終結後、グリーン・ベレー部隊編入のための訓練プログラムに登録したが、訓練開始二日目に体力的な理由からプログラムから外された。湾岸戦争で身体が鈍っていたのである。マクベイは自分が外された事に大きく落胆し、1991年12月31日に除隊している。 除隊後、マクベイは生まれ故郷ペンドルトンの近くで警備員の仕事に就き、事件の数ヶ月前までカンザス州フォート・リレイ近くの町ジャンクションシティで働いていた。この間に反政府主義武装団体ミシガン・ミリシア(英語版)に加入し、当時のクリントン政権が全アメリカ国民を完全に管理する事業に着手しており、すべての武器を個人から取り上げようとしているとするミリシアのキリスト教愛国主義(白人至上主義)の過激思想に強い影響を受けるようになった。当時の友人に対し「国連が設立した世界政府がアメリカ国民を武装解除させ、おれたちから武器を奪いとるつもりだと思っていた」と話している。。
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