生い立ちおよび軍隊生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 07:35 UTC 版)
「ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー」の記事における「生い立ちおよび軍隊生活」の解説
ロシャンボーはフランスのロワール=エ=シェール県ヴァンドームで生まれた。ロシャンボーは、ブロワのイエズス会カレッジで学んだ。ロシャンボーの兄が死ぬと、騎兵連隊に入り、オーストリア継承戦争中はボヘミア、ババリア、およびライン地方で従軍した。1747年ロシャンボーは大佐となった。 ロシャンボーは、1748年にマーストリヒトの包囲戦に参加し、1749年にはヴァンドームの知事となった。ロシャンボーは、七年戦争の端緒となった1756年のミノルカの戦いで頭角を現し、歩兵旅団将軍(准将)に昇進した。1758年、ロシャンボーはドイツと戦い、クレフェルトの戦いに参加した。1760年のクロスターキャンプの戦いでは数カ所の傷を負った。1761年、ロシャンボーは元帥副官と騎兵監査官に任命された。この地位にあるとき、ロシャンボーは大臣達からしばしば技術的な問題について相談を受けた。
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