生い立ちから1950年代
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「ソニー・ロリンズ」の記事における「生い立ちから1950年代」の解説
1930年9月7日、アメリカ合衆国のニューヨークで生まれた。7歳の頃、ルイ・ジョーダンのレコードを聴いてサックスに興味を持つ。9歳でピアノを、11歳でアルト・サックスを学び、高校時代にテナー・サックスに転向。この頃、ジャッキー・マクリーンやケニー・ドリューと一緒にバンドを組んでいた。また、大御所サックス奏者のコールマン・ホーキンスが近所に住んでおり、サインを貰うためにホーキンスの自宅に押しかけたこともあったという。 その後本格的にプロの道に進み、1949年にレコーディングを初経験。同年、J・J・ジョンソンのレコーディングに参加し、初の自作曲「Audobon」を提供。更にバド・パウエルと共演。 1950年、マイルス・デイヴィスと出会う。マイルスは、当時のロリンズに関して、バード(チャーリー・パーカー)と同じようなレベルでサックスを吹いていると言う連中もいたと証言している。 1951年1月17日、マイルス・デイヴィスのリーダー・セッションの傍ら、初めてバンド・リーダーとしてのレコーディングを行う。この時、ピアニストのジョン・ルイスが所用で帰ったため、マイルスが代わりにピアノを担当。それを機に、ロリンズはプレスティッジ・レコードとの契約を得た。なお、ロリンズが初めて自己名義で録音した「アイ・ノウ」は、後年になってアルバム『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・クァルテット』に追加収録される。 その後も度々、バンド・リーダーとしての活動と並行して、マイルスのレコーディングに参加。1953年3月にマイルスのセッションに参加した時は、ロリンズが憧れていたチャーリー・パーカーとも共演し、その模様はマイルスの『コレクターズ・アイテムズ』で聴ける。1953年10月に行われたロリンズのリーダー・セッションでは、モダン・ジャズ・クァルテットがバックを務めた。 1954年、音楽活動を停止してシカゴに引っ込むが、1955年11月、クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットの一員として活動再開。更に、ローチのサポートを得てバンド・リーダーとしても再起する。 そして、1956年のリーダー・アルバム『サキソフォン・コロッサス』が評価され、一躍知名度が上がった。本作の収録曲「セント・トーマス」は、21世紀に至るまで、ロリンズのコンサートで重要なレパートリーとなった。イギリスのジャズ・ロック・バンド、サーカスらも、同曲をカバーしている。その後はブルーノート、コンテンポラリー・レコード、リバーサイド・レコードなど様々なレコード会社に多くの録音を残した。この時期の代表作としては『ウェイ・アウト・ウエスト』『ニュークス・タイム』『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』『フリーダム・スイート』などがある。また、1957年11月29日、殿堂カーネギー・ホールでコンサートを行った。 1950年代末には全盛期にあったが、ロリンズは自分の演奏を見つめ直すため、突如引退した。休養中も練習に励んでいたという。
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