生い立ちから10代 ─個の形成期とは? わかりやすく解説

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生い立ちから10代 ─個の形成期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 05:41 UTC 版)

吉川霊華」の記事における「生い立ちから10代 ─個の形成期」の解説

東京府湯島佐藤一斎晩年門人で、昌平坂学問所助教や、御書院番御納戸勤めた儒者吉川辰夫(忠、号・澹斎)の三男として生まれる。家は吉川元春末流で、七代前に江戸幕府召されて御家人になったとされ、霊祖父大江忠尚は勘定組頭まで出世して旗本になっている。父は維新後一時深川八幡社の神官務めた後、「橘香塾」という私塾開き子弟教育していた。 幼少より、詩文画作優れ神童と言われた。小学校4年辞め漢学は父から仕込まれたものの、以後学校に通うことはなかった。かわりに教養豊かな家庭環境や、父の蔵書手当たり次第に読む程の読書好きと相まって独学的な傾向育む。後にも小遣い画料も残らず本代かわったという。明治16年1883年8歳の時、近所遊び友達の父・楊洲周延浮世絵の手解きを受け、「延景」の画号を受ける。明治22年1889年)画の修行かたわら書家中根半嶺に書を修め、「半谷」の号を受ける。翌年、父の知人狩野晏信の子狩野良信から狩野派を習う。一時橋本雅邦や、次兄に連れられ洋画家小山正太郎にも師事するが、いずれも長続きしなかった。明治27年1894年)頃、小石川白山下の南隠禅師参禅一説に霊号したのはこの頃だという。

※この「生い立ちから10代 ─個の形成期」の解説は、「吉川霊華」の解説の一部です。
「生い立ちから10代 ─個の形成期」を含む「吉川霊華」の記事については、「吉川霊華」の概要を参照ください。

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