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し‐ぶん【詩文】

読み方:しぶん

詩と文章漢詩漢文また、文学的作品。「—の才」


詩文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 02:54 UTC 版)

山梨稲川」の記事における「詩文」の解説

稲川詩草』は文政4年1821年)、駿府江川町採撰亭十兵衛による出版で、古詩絶句律詩分けて694首を収める。『稲川遺芳』『詩集日本漢詩』に収録される。 地元葵文庫には稲川遺稿数多く残されており、「詩稿」「文稿」「雑稿及雑抄」「書簡集」と分類される。 「詩稿」 - 26冊中4冊が散佚している。 「昆陽詩集」 - 天明7年寛政3年昆陽詩集」 - 上の清書版 「昆陽詩集 不如無斎」 「昆陽集」「壬子詩稿」 - 寛政4年1792年)、5年1793年) 「辛亥稿 不如無斎」 - 寛政3年1791年) 「癸丑詩稿 不如無斎」 - 寛政4年1792年) 「乙卯稿 不如無斎」 - 寛政7年1795年) 「丙辰詩稿 不如無斎」 - 寛政8年1796年) 「丁巳稿 不如無斎」 - 寛政9年1797年) 「昆陽詩集 戊午五月」 - 寛政10年1798年)、秋葉山登山の記 「不如無斎雑稿己未集」 - 寛政11年1799年) 「不如無斎詩稿庚申壬戌」 - 寛政12年1800年)~享和2年1802年) 『不如無斎詩稿癸亥乙卯」 - 享和3年1803年)~文化3年1806年)、乙卯年(1807年)は含まず乙卯詩草」 - 文化4年1807年) 「稲川詩稿 癸酉 甲戌 乙亥』 - 文化10年1813年)~12年1815年) 「丁丑戊寅稿」 - 文化14年1816年)、文政元年1818年) 「己卯雑稿 不如無斎」 - 文政2年1819年) 「庚辰雑稿」 - 文政3年1820年)、4年1821年) 「癸未稿 不如無斎」 - 文政6年1823年)、7年1824年) 「乙酉詩稿 不如無斎」 - 文政8年1825年)、9年1826年) 『於陵唱』 『佩新雅』 - 稲川贈られた詩をまとめたもの。 「文稿」 - 『聖藩羝触』『孟浪俚言』の2作については、漢字仮名交じり文である点や内容から他人著作写しという説もある。 『鮫洲告別』 『遊日光山記』 - 寛政元年1789年)兄亮平と日光遊んだ際の日記。 『遊房総記』 『晴窓瑣記』 『閲古砕録』 『思旧漫録』 - 旧交27人の事蹟を記す。 『聖藩羝触』 『孟浪俚言』 「稲川文草一」 「稲川文草二」 「稲川文草三」 「稲川文草四」 「稲川文草五」 「稲川文草六」 その他次の著書所蔵される。 『東寓日歴』 - 死去の年、文政9年3月13日駿府出て同年5月23日までの日記。 『斎記』 慶応義塾大学斯道文庫には「稲川日記」5冊が所蔵される。 『昆陽日記』 - 寛政9年1797年1月4月4日10年1798年1月29日2月3日昆陽私録』 - 寛政10年1798年7月24日12月9日文化八年 日記 稲河家』 - 享和3年1803年2月18日22日文化8年1811年7月7日10月26日稲川日記』 - 文化9年1812年3月9月10年1813年1月2月等 『稲川日記』 - 文化2年1805年9月19日10月17日 その他の詩文としては以下がある。 『随輿私筆』 - 「巻之二」のみ現存寛政4年1792年)母と西国巡った際の日記。 『晦休録』 - 文化4年1807年)、文化5年1808年)・6年1809年)、文化7年1810年)部から成る日記。 「駿河国記」 - 内閣文庫22冊。 『焼津遊記』 - 文化2年1805年成立。繁原央「焼津遊記〈静岡県立中央図書館〉-翻刻注釈-」『常葉国文』第15巻翻刻。 「日本書紀」 - 天理図書館朱筆書入れがある。 『肖山野録』 - 東京都立中央図書館文政2年1819年)跋。楽山吟社仲間との共著。繁原央「翻刻肖山野録』(東京都立中央図書館)」『常葉学園短期大学紀要第19巻翻刻される。

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詩文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 14:14 UTC 版)

野馬台詩」の記事における「詩文」の解説

全文は、早く大永2年1522年)の東大寺野馬縁起』に見られその後江戸時代文献にも見られる東海姫氏國東海姫氏の国)百世天工百世天工代る)右司爲輔翼(右司輔翼為り)衡主建元功(衡主元功を建つ)初興治法事初めに治法の事を興し)終成祭祖宗(終に祖宗祭りを成す)本周天壤(本天壌に周く)君臣始終君臣始終定む)谷塡田孫走(谷填りて田孫走り膾生羽翔(膾羽を生じて翔ぶ干戈動(干戈動き)中微子孫昌(中微にして子孫昌なり)白龍游失白龍遊び失い)窘急寄故城(窘急故城に寄る)黄鷄代人食(黄鶏人に代わり食み黑鼠喰牛腸(黒鼠牛腸を喰らう丹水流盡後(丹水流れ尽きて後)天命三公天命三公在り百王流畢竭(百王流れ畢り竭き)英雄英雄称す星流飛野外(星流れて野外飛び鐘鼓國中鐘鼓国中喧し靑丘赤土青丘赤土と)茫茫遂爲空(茫茫として遂に空と為らん) 大意 東海にある姫氏の国(日本)では百世わたって天に代わり(人の治める国になった左右臣下国政補佐し宰相功績打ち立てた初めはよく法治体制整え後にはよく祖先祀った天子臣下天地あまねく君臣秩序はよく定まった(しかし、)田が埋もれて貴人逃げまどいなますに突然羽が生えて飛ぶ(下克上時代になった中頃衰え身分の低い者の子孫が栄え白龍失い困り果て異民族の城に身を寄せた黄色が人に代わってものを食べ黒い鼠が牛の腸を喰らった王宮衰退し天命三公移った百王流れはついに尽きて英雄称した流星野外飛び戦い告げる)鐘や鼓が国中響いた大地荒れ果て日本朝鮮、という解釈もある)果てしない世界無に帰した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 08:36 UTC 版)

駱賓王」の記事における「詩文」の解説

7歳から良く詩を賦し成長してからは五言律詩にその妙を得た。ことにその「帝京篇」は古今絶唱とされる好んで数字用いて対句をつくるので「算博士」の俗称がある。武后駱賓王の文を重んじ、詔してその文章数百編を集めて卿に命じ編纂させたのが、『駱丞集』4巻であるそれに頌・賦・五七言古・五律・排律絶句七言絶句・啓・書・叙・雑著11項目に分かれて作品収められている。 松枝茂夫は『中国名詩選』で駱賓王代表作として『易水送別』を選んでいる。 易水送別此地別燕丹 此の燕丹別る 壯士髮衝冠 壮士 髪 冠衝く 昔時人已没 昔時已に没し 今日猶寒 今日 猶ほ寒し ウィキクォートには、駱賓王に関する引用句あります

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 08:48 UTC 版)

黄庭堅」の記事における「詩文」の解説

黄庭堅は詩文にも優れ杜甫の詩と韓愈の文に造詣が深い杜甫の詩に影響されたのは、黄庭堅の父の黄庶が『伐集』(ばつたんしゅう)二巻の著で、杜甫の詩を好んだとしている。これも理由一つとされる古人の詩文をもととし、これに創意加えて新し作品をつくることをいう「換骨奪胎」の語で知られる詩論確立し後世江西詩派開祖とされた。 代表作山谷詩集でも、書道芸術対し重要な見解いくつか発表している。優れた伝統の継承個性創造強調してその作品実証してみせている。 荊江即事 原文 書下し文 意翰墨場中老伏波 翰墨場中の老伏波 わたしは翰林院馴染めない馬援老将のようであり 菩提坊裏病維摩 菩提坊裏の病維摩 病のため釈迦の下に参ずることがかなわない維摩のようだ 近人積水 人に近づき積水無く 豊かな然はあっても粋人や友はおらず 時有帰牛浮鼻過 時に帰牛の鼻を浮かべて過ぐる有り 無粋な者を相手無益な時間過している 山谷多く中国詩人たちと同じく公式的には儒教的立場標榜しつつ、しかも老荘および仏教禅学思想多大興味関心払っている。かれは特に「荘子」を好んだ。それは、少年時代からの親友の黄介(? - 1088年)の影響よるもので、この友人は、恐らく山谷よりも年長であった考えられるが、読書人たちのあいだにまだそれほど流行していなかった時期に、早くもこの痛快な超俗の書を推賞していたのである山谷作品における「荘子」の引用は、枚挙にいとまがないが、なかでも見落とすことのできないのは、「斉物論篇」に説かれる万物一体観にもとづく、自然への甚だし愛着大自然のうちに潑剌として生きる動物たちとの融合への願望であろう。 のちに、「二十四孝」のひとりに名を連ねられたように温厚篤実典型的な君子人とされている山谷ではあるが、かれのなかにも世俗への嫌悪とそして野性へのあこがれが、実は根深く存在しつづけていたのであるこのように大自然愛した山谷作品に、自然詩が、なかんずく純粋の叙景詩唐代詩人たちが完成した山水の美の忠実な描写ーが、ほとんど見られない。かれは、自然をえがくことには、あまり、興味持たぬように思われる。かれの作品時としてあらわれ風景描写は、だいがいはむしろ紋切り型といってよく、類似表現繰りかえされ場合が多い。

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詩文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 16:00 UTC 版)

銭謙益」の記事における「詩文」の解説

文章をもって聞こえ明代後期盛行した文壇潮流一石投じた。すなわち、15世紀末から16世紀初頭にかけて李夢陽・何景明らは「文は必ず秦漢、詩は必ず盛唐といってその格調に学ぶことを主張し、ついで16世紀半ばには李攀龍王世貞らが同様に擬古主義唱えた。これらの流派を「古文辞派」といい、当時読書人たちの間では共鳴する反対する者さまざまであった反対する文人らをとくに「公安派」といい、主な人物帰有光、また袁宏道を含む袁氏三兄弟がいる)。銭謙益盛唐詩人杜甫学びつつもこれら古文辞派見解排し、有詩無詩の説を立てて「詩は気を以て主と為す」とした。また、仏教造詣が深いことからその思想を自らの文学にも当てはめ、詩は視覚よるものではなく、詩中に描かれる声・色香・味は鼻で嗅ぐことによって聞き分けられるとする「香観説」を唱えたこうしたことから明末清初当時文人として呉偉業・龔鼎孳と併せて江左の三大家と称せられるに至った(なお呉偉業明清の二朝に仕えている)。こうした詩論青年期王士禎に、さらには18世紀後半乾隆帝治世下に生きた袁枚の「性霊説」にまで影響与えている。

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詩文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 13:48 UTC 版)

鳥居耀蔵」の記事における「詩文」の解説

儒学者の家に生まれた耀は詩をよくものした。特に幽閉時代無聊慰めるため詩作励んだが、自身悶々とした思い込められている。例え次の詩は赦免され23年振り江戸(=東京)へ帰ってきたときの述懐である。 「東京」 交市通商イテウガ如ク誰カ知ランニ深望アルヲ後ノ五十年須ラク見ルヲ得ベケレバ神州恐ラクハ是レ夷郷ト作ラン現代語訳人々行き交い商業狂ったように競っている。 誰が知るだろう、過去罪人(耀)の考えを。 五十年後未来を予想できるならば 日本はおそらく野蛮人の国となっているだろう。

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