文政6年 (みずのとひつじ 癸未)
年(年号) | |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 |
●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 |
●1829年 (文政12年) | ■江戸大火 |
●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 |
●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 |
●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 |
文政6年(1823年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 03:51 UTC 版)
「三方領知替え」の記事における「文政6年(1823年)」の解説
陸奥国白河藩主松平定永を伊勢国桑名へ、桑名藩主松平忠堯を武蔵国忍へ、忍藩主阿部正権を白河へ転封したもの。3月24日に発令された。白河藩主を隠居していた元老中首座松平定信が、港湾財源を持つ桑名への転封を狙って仕掛けたものとされているが、異説として定永が江戸湾の海防警備への負担に耐え切れず江戸湾岸の下総国佐倉藩への転封を願ったところ、佐倉藩主堀田正愛の抗議を受けて紛糾したため、佐倉藩が白河藩の替わりに江戸湾警備を引き受ける代償として行われた懲罰的転封との説もある。また、桑名藩では藩が事実上の御用金にあたる領民の講より借り入れた金が返済されないことを恐れた領民によって文政桑名農民一揆が起こされた。なお、この領知替えがきっかけで福島県白河市・三重県桑名市・埼玉県行田市の三市は姉妹都市となっている。
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