さとう‐のぶひろ【佐藤信淵】
さとうのぶひろ 【佐藤信淵】
佐藤 信淵 (さとう のぶひろ)
1769〜1850 (明和6年〜嘉永3年) |
【経世家】 江戸の「東京」改称を提案した、幕末の経世学者。 |
江戸後期の経世家で農政学者。出羽国出身。父とともに奥羽、関東を遊学。江戸で蘭学、天文・測量術を学び、47歳のとき平田篤胤に師事。農政・物産・海防・兵学など多くの論説を著し、重商主義・絶対主義的な国家社会主義の構想を説く。江戸を「東京」と改称し都を置く、二都制を提唱したことでも知られる。著書に『経済要略』など。 |
年(和暦) | ||
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 3才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 14才 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 20才 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 21才 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 22才 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 28才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 34才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 37才 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 39才 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 | 56才 |
●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 | 59才 |
●1829年 (文政12年) | ■江戸大火 | 60才 |
●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 | 61才 |
●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 | 68才 |
●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 | 70才 |
・高橋 至時 | 1764年〜1804年 (明和元年〜文化元年) | +5 |
・十返舎 一九 | 1765年〜1839年 (明和2年〜天保10年) | +4 |
・滝沢 馬琴 | 1767年〜1848年 (明和4年〜嘉永元年) | +2 |
・雷電 為衛門 | 1767年〜1825年 (明和4年〜文政8年) | +2 |
・近藤 重蔵 | 1771年〜1829年 (明和8年〜文政12年) | -2 |
・徳川 家斉 | 1773年〜1841年 (安永2年〜天保12年) | -4 |
・間宮 林蔵 | 1775年〜1844年 (安永4年〜弘化元年) | -6 |
佐藤信淵
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佐藤 信淵(さとう のぶひろ、明和6年6月15日(1769年7月18日) - 嘉永3年1月6日(1850年2月17日))は、江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。本業は医師。出羽国雄勝郡西馬音内前郷村または郡山村(ともに、現秋田県雄勝郡羽後町)出身。通称(幼名)は百祐(ももすけ)、字は元海、号は松庵・万松斎・融斎・椿園。幼少から父の佐藤信季と各地を旅行して見聞を広め、のち江戸に出て儒学を井上仲竜、国学を平田篤胤、神道を吉川源十郎にそれぞれ学び、さらに本草学・蘭学を宇田川玄随や大槻玄沢に、天文暦数を木村泰蔵に学んだ。その学問は農政・物産・海防・兵学・天文・国学など広範に及び、主著に『宇内混同秘策』『経済要録』『農政本論』がある。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『近世の秋田』(1991)pp.217-223
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 奈良本(1979)p.133
- ^ a b c d e f g h i j k l 『秋田人名大事典 第2版』「佐藤信淵」(2000)p.284
- ^ 丸山(1952)p.290
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 折原裕「江戸期における重商主義論の展開 : 佐藤信淵と横井小楠」『敬愛大学研究論集』第44号、1993年9月、105-129頁、NAID 120006016093。
- ^ 荒川秀俊, 「佐藤信淵考案の自走火船 : ロケット推進船」『日本航空学会誌』 1963年 11巻 118号 p.364, 日本航空宇宙学会, doi:10.2322/jjsass1953.11.364, NAID 130003957436。
- ^ 彌高神社「御祭神」
- ^ a b c d 逆井(1989)pp.76-79
- ^ 『秋田のお寺』「延命山寶泉寺」(1997)p.388
- ^ 賀川(1992)p.258
- ^ コトバンク「草木六部耕種法」
- ^ コトバンク「農政本論」
- ^ 桂島(1989)pp.74-75
- ^ a b コトバンク「経済要録」
- ^ a b コトバンク「垂統秘録」
- ^ a b c コトバンク「宇内混同秘策」
- ^ エルドリッヂ(2008)p.31
- ^ 谷沢永一『新しい歴史教科書の絶版を勧告する』(2001)p.189、ビジネス社
- ^ a b 塚谷(1997)pp.131-132
- ^ 佐藤宏之 著 中塚武 監修「第二章 近世種子島の気候変動と地域社会」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』p51 2020年11月30日 臨川書店 全国書誌番号:23471480
「佐藤 信淵」の例文・使い方・用例・文例
- 佐藤さんをロビーで呼び出ししてもらいたいのですが
- 山田先生が、佐藤先生に質問をする
- 山田と佐藤が一緒に歌の練習をする
- 山田さんと佐藤さんが同時に言う
- 山田と佐藤はクラスが同じと言う
- 山田と佐藤が、25日、教会で結婚式を挙げた
- 佐藤の後任の山本です
- 佐藤先生は何の科目を教えますか?
- 私はデザイン担当の佐藤です。
- 私、有限会佐藤商会の製造部の近藤と申します。
- 私、池田グループ株式会社の広報部の部長の佐藤と申します。
- 彼女が、佐藤君と結婚するなんてありえないよ。
- 私たちは佐藤さんが部屋から出るのを見た。
- 姉は佐藤さんと結婚したが、佐藤さんのお父さんは私の母の友人だ。
- 佐藤先生が私のクラスを担当しています。
- 佐藤氏を紹介しましょう。
- 佐藤氏は上京する前は生まれ故郷でスーパーを経営していた。
- 佐藤氏は、私に選挙について多くの質問をした。
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