江戸後期とは? わかりやすく解説

江戸後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)

日本酒の歴史」の記事における「江戸後期」の解説

天明3年1783年)に浅間山大噴火天明の大飢饉が起こると、幕府は、天明6年1786年)に諸国酒造石高を五割にするよう減醸令を発し天明8年1788年)には酒株改めおこないその結果もとづいて三分の一造り令などが示達された。松平定信寛政の改革一環として天明三分の一造り令を継続するとともに、「酒などというものは入荷しなければ民も消費しない」との考えのもとに下り酒江戸入津著しく制限した享和2年1802年水害などに起因する米価高騰により、幕府酒造米の十分の一供出させた。この米のことを十分の一役米という。酒屋たちは抵抗反発し十分の一役米享和3年1803年)に廃止された。 文化文政年間豊作の年が続き幕府文化3年1806年)にふたたび勝手造り令を発し酒株持たない者でも、新しく届出えすれば酒造りができるようになった。こうして酒株制度はふたたび有名無実化したが、このことはやがて江戸後期から幕末にかけ、酒屋たちのあいだに複雑な内部抗争起こさせることになる。 天保8年1837年)、山邑太左衛門によって宮水みやみず)が発見されると、摂泉十二郷中心は海に遠い伊丹から、と港に恵まれた灘へと移っていった。

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江戸後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:24 UTC 版)

新川 (東京都中央区)」の記事における「江戸後期」の解説

以降沿岸開発により以下の町成立した北新堀大川端町 - 北新堀町続きにあったが、正保年間御船手組屋敷となり、南新堀続き移転した霊岸橋請負地 - 享保年間埋め立てにより成立した霊岸橋埋立地 - 明和年間埋め立て成立した寛政11年1799年)には蝦夷地産物会所、島会所置かれた。 富島町一・二丁目 - 弘化2年1845年)島西側埋め立てられ成立した亀島川沿岸部埋立が十分でなかったため足場悪く蒟蒻島と俗称された。同地域には岡場所形成され所属する私娼蒟蒻芸者呼ばれた

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江戸後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:17 UTC 版)

浮世絵」の記事における「江戸後期」の解説

1801年享和元年)から1867年慶応3年)を指す。 渓斎英泉遊女屋白粉屋の経営をしていた経験があり、それが美人画活かされたのか、「婀娜あだ 」と呼ばれる、「鼻筋通った面長で、つり目受け口歪曲され顔貌表現 」といった、その時特有の美を示した。。 英泉同時代の、名前の通り、京で活動した祇園井特も、大正期甲斐荘楠音岡本神草想起させる廃頽的とも言える美人肉筆画描いた文化・文政期(1804-30年)には、下唇緑色見え笹紅流行り、その点も、現代人異様さを受ける要因である。 葛飾北斎は、勝川春章の下で役者絵描きその後俵屋宗理(そうり)を名乗り、独自の肉筆美人画様式を得、そして北斎名乗る銅版画真似た名所絵木版実験作を発刊曲亭馬琴読本椿説弓張月』で挿絵担当し馬琴との共著が続くこととなり、絵師としての名声を得る。その後北斎漫画』もヒットし版元西村屋与八組んだ富嶽三十六景』で輸入染料ベロ藍用い一色摺り拭きぼかしを駆使し斬新な構図含め広く世間受け入れられるその後西村屋と『諸国瀧廻り』『諸国名橋奇覧』を続けて版行し、版本富嶽百景』も発表し名所絵という新ジャンル確立した90歳で亡くなるまで絵師であり続けた。娘応為 は、晩年の父作画手伝ったと言われ自身明暗強調した肉筆画残した 。 方や歌川広重は、『東都名所』(1830-31・文政13-天保2年頃)で、「ベロ藍」を初め用いるが、北斎比べると、抑えた色使いであった1834年天保5年)頃、版元保永堂から『東海道五十三次』全55揃え版行する。残存枚数及び版木消耗具合から、相当売れたことが推察できるまた、55画帖仕立てたものもあり、武家豪商購入していたことが推測できる上記2揃は、『富嶽三十六景』と版行時期が近いが、広重及び版元北斎意識していたと思われる最晩年の1856-58年(安政3-5年)に、版元魚屋さかなや・ととや )栄吉の下、目録含め120揃い(うち1枚二代広重筆)の『名所江戸百景』が版行される。 本シリーズベロ藍だけでなく、洋紅用いられるが、『東都名所』同様、抑えられ色使いになっている。また広角レンズ用いたような、前景極端に大きく画く近接拡大法」を、多く作品採用している。全て縦長であることも、名所絵としては異例だが、『東都名所』で行ったのと同様、最初から画帖仕立てる考えあったからと思われる画帖は現在、東洋文庫等に収蔵されている。 歌川国貞豊国門下で名を上げ三代豊国襲名する柳亭種彦組み、『偐紫田舎源氏』等の合巻挿絵成功を得る。役者絵美人画でも人気を得、最晩年版元恵比寿屋庄七での、役者大首絵シリーズ60図は、生え際彫り空摺り布目摺り高価な顔料用いる等、手間暇かけられており、一枚数十文から二百文で売られたようだ市場成熟ぶりが見られるが、このシリーズでは、出資者に関する史料残っている。浮世絵師として、最も多く作品残したといわれる元 ・明期に成立し日本でも読本取り入れられ人気得た水滸伝」は、当然のごとく、浮世絵でも取り扱われる歌川国芳は、版元加賀屋吉右衛門での『通俗水滸伝豪傑百八人』シリーズ人気を得る。2・3続きもあり、国貞役者絵同様、高価だった思われる1843年天保14年)の「源頼光公館土蜘妖怪図(みなもとの よりみつこうの やかたに つちぐも ようかいを なすの ず)」は『太平記』記される平安時代中期逸話だが、版行後、「 天保の改革」(1831-33・天保12-14年)での贅沢禁止揶揄し12代将家慶老中 水野忠邦描き込んだと噂が立ち、加賀屋摺物回収版木削り落としたが、海賊版横行した。なお、江戸時代は、大坂冬の陣夏の陣 や、島原の乱除けば泰平の世であり、か織豊期以降時代風刺禁じられていたので、それ以前史実を、当世暗喩として表現する方法取った暗喩有無問わず、これらの作品を「武者絵」と呼ぶ 。 国芳役者絵以外に、「戯画」も多く作画し、「金魚づくし」シリーズ等、動物擬人化したり、「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」のように、複数の裸の男を組み合わせ、顔を表現したり、天保の改革役者絵禁止されたので、「荷宝蔵壁のむだ書」のように、壁のひっかき傷役者ひそかに表現したりした。改革抵抗し笑い飛ばす姿勢窺える1855年安政2年10月江戸で大地震発生し、その直後、「鯰絵」が多く版元から版行された。ナマズ地震起こすという言い伝えは、江戸時代中期からあった。ナマズ日本列島を下から支え、その頭部鹿島神宮にあたり神宮境内鎮座する要石かなめいし)」でナマズ押さえていたと考えられたが、地震当日神無月だった為、鹿島明神出雲大社 での神々会議出払っていたせいで、地震抑えられなかったと江戸人々考えた。その為、鹿島明神ナマズ要石押さえつける鯰絵が緊急版行された。それ以外にも多く図柄があり、ナマズが町人に地震起こしたことを謝ったり、家屋普請手伝ったりする絵もある。緊急版行なので、改印および版元絵師印は皆無だが、画風から歌川派作品が多いと推測される前向きに生きてこうとする町人勢い垣間見える1854年嘉永7年3月日米和親条約により、200年以上に渡る「鎖国」は終焉した。58年安政5年)には 日米修好通商条約及びオランダ・ ロシア・フランス・イギリスと、同等条約結ばれ和親条約定められ下田函館2港に加え、4港開港とそこでの居住許された。その内江戸から最も近い横浜は、翌59年安政6年)に開放され江戸神奈川人々は、これまで見たともない外国人顔貌服装建造物興味引かれた。その結果生まれたのが「横浜絵」である。1860年安政7・万延元年)から1872年明治5年)にかけて、大部分江戸版元から版行された。絵師歌川芳虎 ・ 芳員ら、国芳門下が多い。また、五姓田芳柳らによる、居留者の似顔を、絹地在来顔料陰影付けて描き、それに和装姿をモンタージュした「絹こすり絵」(絹本肉筆画)も、横浜絵含まれる 。 そんな時代転換期、1866-67年(慶応2-3年)に、国芳門人である月岡芳年と、芳年弟子である落合芳幾による「英名二十八衆句」が版行された。これらの28点は、鶴屋南北『東海道四谷怪談』歌舞伎ものや、史実から取られ全点殺戮を描く「血みどろ絵」である。同時期に土佐国町絵師絵金芝居題材元に、「血みどろ絵」二双屏風残したこれらの作品生まれたのは、当時実際に切り捨てられ屍骸を見る機会あったからだろうと指摘される

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