幕末
原題: | |
製作国: | 日本 |
製作年: | 1970 |
配給: | 東宝 |
スタッフ | |
監督: | 伊藤大輔 イトウダイスケ |
製作: | 小川衿一郎 |
脚本: | 伊藤大輔 イトウダイスケ |
撮影: | 山田一夫 ヤマダカズオ |
音楽: | 佐藤勝 サトウマサル |
美術: | 伊藤寿一 イトウジュイチ伊藤壽一 |
編集: | 阿良木佳弘 アラキヨシヒロ |
録音: | 野津裕男 |
スクリプター: | 鈴木一成 |
照明: | 中山治雄 ナカヤマハルオ |
キャスト(役名) |
中村錦之助 ナカムラキンノスケ (坂本竜馬) |
三船敏郎 ミフネトシロウ (後藤象二郎) |
仲代達矢 ナカダイタツヤ (中岡慎太郎) |
吉永小百合 ヨシナガサユリ (お良) |
仲谷昇 ナカヤノボル (武市半平太) |
中村賀津雄 ナカムラカツオ中村嘉葎雄 (近藤長次郎) |
松山英太郎 マツヤマエイタロウ (新宮馬之助) |
神山繁 コウヤマシゲル (勝海舟) |
御木本伸介 ミキモトシンスケ (桂小五郎) |
小林桂樹 コバヤシケイジュ (西郷吉之助) |
片山明彦 カタヤマアキヒコ (中平寅之助) |
二木てるみ ニキテルミ (中平三和) |
山形勲 ヤマガタイサオ (山田広衛) |
長島隆一 ナガシマリュウイチ (池上多聞) |
大里健太郎 (村嶋右之助) |
青山宏 アオヤマヒロシ (弁斉) |
新田昌玄 ニッタショウゲン (沢木将司) |
山本学 ヤマモトガク山本學 (千左右吉) |
奥田情 オクダジョウ (志田秀躬) |
田中浩 タナカヒロシ (出石喜助) |
福本勇 フクモトイサム (城戸伝次郎) |
神木真一郎 (新見衛) |
橋本仙三 ハシモトセンゾウ (安岡金馬) |
太田博之 オオタヒロユキ (三神太郎次) |
尾形伸之介 オガタシンノスケ (千葉重太郎) |
植田多葉子 (才女万里) |
天田俊明 アマダトシアキ (品川弥次郎) |
浅若芳太郎 アサワカヨシタロウ (牟田) |
安田隆 ヤスダタカシ (朽尾) |
成合晃 (幾久) |
江原真二郎 エバラシンジロウ (三吉慎造) |
大辻伺郎 オオツジシロウ (四十吉) |
保積ペペ ホヅミペペ (佐市) |
江利チエミ エリチエミ (小万) |
緋多景子 (於福) |
高野宏美 タカノヒロミ (おちよ) |
渡辺篤史 ワタナベアツシ (菅(士官)) |
沢井三郎 サワイサブロウ (布施市之丞) |
中村時之介 ナカムラトキノスケ (伊東甲子太郎) |
香川良介 カガワリョウスケ (藤吉) |
香川桂子 カガワケイコ (乙女) |
解説 |
「徳川家康」の伊藤大輔が脚本、監督した歴史もの。撮影は「新選組(1969)」の山田一夫。 |
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
ある雨の日、不自由な足に下駄を引摺った一人の小商人が藩の上士・山田にぶつかり無礼討ちされた。土佐藩では士分以外に下駄は禁制。下士・中平は怪我人に下駄と雨傘を与えた親切があだとなり、「御法度破りの同類」として山田のために討ち果たされた。この一件は烈しく坂本竜馬の心魂を揺ぶり故郷の土佐を脱藩させた。江戸を訪れた竜馬は、かつて剣の腕を磨いた千葉道場に落着いた。千葉は時の幕府海軍奉行、勝海舟を開国論者の先鋒とみて、嫌っていた。しかし、竜馬は海舟を邸に訪ね、立場こそ違え互に国を愛し、国を憂うる心に違いないことを知った。ちょうど、勤王倒幕の雄藩、薩・長二藩の主導権争い激しき折りだった。慶応元年。竜馬は長崎に「社中」を創設し海運業に乗りだした。だが、竜馬は海運業に携わるよりも、中岡と共に薩・長二藩連合のために奔走する方が多かった。その留守を預る近藤が「社中」規約違反の廉で詰腹を切らされ、中岡は同志のケチな差別根性を嚇怒した。同正月二十日。竜馬は長州の桂と薩摩の西郷との間を周旋して、ついに両藩積年の確執と反目を解消させた。だが、それと同時に竜馬は幕吏に狙われるところとなり、お良と結婚したものの安住の地はなかった。が、幕威に比し薩・長二藩の実力は伸長していた。この現実に周章したのは公武合体論の士佐藩だった。土佐藩家老後藤象二郎は竜馬に助言を求めた。竜馬は「将軍慶喜をして大政を奉還せしめる」ことを説いた。慶応三年十月十五日“朝廷勅して大政奉還の請願を許す”その頃、竜馬は河原町通りの醤油商・近江屋に下宿。十一月十五日、風邪の見舞に来た中岡と竜馬は「新政府綱領八策」について議論した。刺客が疾風の如く躍り込りこんで、二人の生命を奪い去ったのは、その最中だった。時に竜馬三十三歳、中岡三十歳であった。 |
幕末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/10 01:38 UTC 版)
注釈
- ^ 但し、領事裁判権はむしろ幕府が求めたものであり、関税に関してもこの時点では妥当なものであった。むしろ問題は金銀等価交換を認めたことであった→幕末の通貨問題
- ^ なお、小笠原としては本気で交渉して鎖港するつもりはなく、横浜の商人に対しては、交易は従来通り許すから安心するよう布告している。
- ^ なお、このとき幕権強化を唱えるタカ派の幕閣は、毛利敬親・毛利広封父子や五卿を江戸へ送らせようとしたが、慶勝はその指令が届く前に撤兵を命じた。
- ^ 在京各藩士には前日に二条城にて諮問していた。
出典
- ^ 同日、久里浜で浦賀奉行以下60人が大筒ボンベン・モルチール砲の砲撃訓練をしていた。訓練は三日目に入っていた。夕方、異国船4隻が沖合を通り過ぎ、浦賀沖に投錨した。そのうち2隻が蒸気軍艦であった。(井上勝生『幕末・維新』シリーズ日本近現代史① 岩波書店 〈岩波新書1042〉 2006年 2ページ)
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、25-27頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、28-31頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、37-40頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、36-37頁。
- ^ 関良基「”不平等”ではなかった日米修好通商条約」 『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』作品社、2020年。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、50-52頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、51-52頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、58頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、59頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、59-60頁。
- ^ a b c 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、60頁。
- ^ a b c “安政の大獄とは - コトバンク”. 2021年9月17日閲覧。
- ^ “飯泉喜内とは - コトバンク”. 2021年9月17日閲覧。
- ^ “小林良典とは - コトバンク”. 2021年9月17日閲覧。
- ^ “日下部伊三次とは - コトバンク”. 2021年9月17日閲覧。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、62頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、91頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、92頁。
- ^ 『もういちど読む山川日本近代史』鳥海靖
- ^ “ロシア軍艦対馬占領事件とは - コトバンク”. 2021年9月17日閲覧。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、93-94頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、86-87頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、82-83頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、83-84頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、104-105頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、94-95頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、95-97頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、105-106頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、106頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、98頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、100頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、108頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、107頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、97-98頁。
- ^ 一坂太郎 『暗殺の幕末維新史』中央公論新社、2020年、58-61頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、99頁。
- ^ 一坂太郎 『暗殺の幕末維新史』中央公論新社、2020年、66-68頁。
- ^ 一坂太郎 『暗殺の幕末維新史』中央公論新社、2020年、106-108頁。
- ^ a b c 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、102頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、119-120頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、112-113頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、114-115頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、116-119頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、121-122頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、122-123頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、125-128頁。
- ^ a b c 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、129-130頁。
- ^ “改税約書とは - コトバンク”. 2021年9月17日閲覧。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、131-133頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、137-139頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、143-144頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、151頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、146-147頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、152-153頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、151-152頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、161頁。
- ^ a b 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、162頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、154-155頁。
- ^ 石井寛治 『大系日本の歴史12 開国と維新』小学館、1989年、162-163頁。
- ^ A .H.バウマン「19世紀における北海道植民地化計画-3人のドイツ人の試案に関する比較研究-」日本独学史学会論集『日独文化交流史研究』(2004)
- ^ “維新期の会津・庄内藩、外交に活路 ドイツの文書館で確認”. 朝日新聞. www.asahi.com (2011年2月7日). 2011年2月9日閲覧。
幕末
「幕末」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は幕末史に目立った人物の一人だ
- 幕末,開港場における運上所という役所
- 幕末日本に起こった外国人排斥運動
- 幕末から維新期における世直しの風潮
- 幕末から維新期における世直しの一揆
- 彰義隊という,幕末に徳川幕府を支持する武士が結成した部隊
- 毎週末と毎月12日に横浜のいくつかのパン屋さんが,幕末あんぱん(江戸末期様式のあんパン)を販売している。
- 幕末あんぱんは,昨年秋に横浜市で開催されたイベントで初めて販売された。
- 同イベントで幕末あんぱんがよく売れたため,パン店主らは自店でも売ることに決めた。
- 彼らは幕末あんぱんが地元の新名物になることを期待している。
- 幕末に生きたこの歴史上の人物に関する初のオンライン検定だ。
- 彼女は戊(ぼ)辰(しん)戦争で戦い,後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた。
- この3人は土(と)佐(さ)藩(現在の高知県)出身の幕末の活動家だ。
- このグループは坂本龍馬などの幕末の人物を呼び物にしている。
- 幕末高校生
- 「幕末高校生」はユーモアたっぷりのタイムトラベル映画だ。
- 幕末の1868年,江戸で幕府軍と反幕府軍の戦いが勃(ぼっ)発(ぱつ)しようとしている。
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