土佐勤王党とは? わかりやすく解説

土佐勤王党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 06:39 UTC 版)

土佐勤王党(とさきんのうとう)は、幕末土佐藩において、尊王攘夷を掲げて結成された結社土佐勤皇党と表記される場合もある。


  1. ^ a b 松田智幸『土佐勤王党 考察』私家版、1997年9月、[要ページ番号]
  2. ^ 『土佐勤王党同志姓名附』
  3. ^ 菊地明『真説 岡田以蔵 幕末暗殺史に名を刻んだ「人斬り」の実像』学研パブリッシング<学研M文庫>、2010年、[要ページ番号]
  4. ^ 深尾丹波の弟


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土佐勤王党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 01:42 UTC 版)

平井政実」の記事における「土佐勤王党」の解説

文久元年(1161年)、武市瑞山島村衛吉らを伴い、善之丞のもとを訪ね土佐勤王党に対す賛意募ると、上士加盟者が少なかった中で、善之丞は「今こそ天下のために起つべき時である。善之丞は老骨ながら援助惜しまない」と瑞山激励

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土佐勤王党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:55 UTC 版)

坂本龍馬」の記事における「土佐勤王党」の解説

土佐藩では、江戸幕府からの黒船問題に関する各藩への諮問機に藩主山内豊信(容堂)が吉田東洋参政起用して意欲的な藩政改革取り組んでいた。また、容堂は水戸藩主徳川斉昭薩摩藩主・島津斉彬宇和島藩主・伊達宗城とともに将軍継嗣問題では一橋慶喜推戴して幕政改革をも企図していた。しかし、安政5年1858年4月井伊直弼幕府大老就任すると、幕府一橋派退けて徳川慶福家茂)を将軍継嗣定め開国強行し反対派弾圧乗り出した安政の大獄)。一橋派の容堂も安政6年1859年2月家督養子山内豊範譲り隠居余儀なくされた。隠居謹慎したもの藩政実権は容堂にあり、吉田東洋中心とした藩政改革着々と進められた。 安政7年1860年3月3日井伊直弼江戸城登城途中桜田門外で水戸脱藩浪士らの襲撃受けて暗殺される桜田門外の変)。事件土佐に伝わると、下士の間で議論沸き起こり尊王攘夷思想土佐藩下士主流となった同年7月龍馬朋友であり、親戚でもある武市半平太が、武者修行のために門人岡田以蔵久松喜代馬、島村外内とともに土佐出立した龍馬は「今日時勢武者修行でもあるまい」と笑ったが、実際西国諸藩巡って時勢視察することが目的であった一行はまず讃岐丸亀藩に入り備前美作備中備後安芸長州などを経て九州入り途中で龍馬外甥高松太郎合流している。 文久元年1861年3月土佐井口村刃傷事件永福寺事件)が起こり下士上士の間で対立深まった。『維新土佐勤王史』にはこの事件について坂本等、一時池田の宅に集合し、敢て上士対抗する気勢示したり」とある。 件の当事者切腹し池田虎之進の介錯龍馬が行って、その血に刀の下緒浸しながら下士団結誓ったという逸話流布しているが、これは坂崎紫瀾小説汗血千里駒』のフィクションである。 同年4月武市半平太江戸上り水戸長州薩摩などの諸藩藩士交流持った土佐藩勤王運動諸藩後れを取っていることを了解し武市長州久坂玄瑞薩摩樺山三円各藩帰国して藩内同志結集試み藩論をまとめこれをもって各藩の力で朝廷権威強化し朝廷助けて幕府対抗することで盟約交わした。これにより同年8月武市江戸で密かに少数同志とともに「土佐勤王党」を結成し、盟曰(めいえつ)を決めた武市土佐戻って192人の同志募り龍馬は9番目、国元では筆頭として加盟した武市勤王党結成した目的は、これを藩内勢力となして、藩の政策(主に老公山内容堂意向)に影響与え尊王攘夷方向へ導くことにあった勤王党結成以来武市は藩内に薩長二藩の情勢について説明をするのみならず土佐もこれに続いて尊王運動の助力となるべきと主張した。しかし、参政吉田東洋をはじめとした当時藩政府は「公武合体」が藩論主要な方針であり、勤王党尊王攘夷主張は藩内の支持を得ることができなかった。

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