国事周旋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 15:11 UTC 版)
勤王党は三条実美を通じた工作により、彼らの悲願である土佐藩主上京・国事周旋の実行を実現させるに至った。文久2年(1862年)8月、藩主山内豊範が入京、武市らもこれに随行した。武市や平井収二郎らは他藩応接役に任じられ、各藩との交渉や朝廷工作を積極的に行ったほか、岡田以蔵や田中新兵衛等を用いて盛んに安政の大獄の折、尊攘派弾圧に関与した者への粛清を行うなど、京都における急進的な尊攘運動の一翼を担った。同年10月、朝廷が幕府に対して攘夷実行を迫る勅使を江戸に派遣した際には、武市ら相当数の勤王党員が衛士として随行した。
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