国主・国持大名の基準
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 03:43 UTC 版)
時代により「国持十四家」から「国持二十家」まで呼び方に差があるが、名数や歴史の辞典などでは「国持十八家」での掲載が多い。(南部が従五位下・奏者番伝謁、有馬が無城、福井が25万石に減封時、柳沢が川越7万石、津山が5万石に減封、宗が2万石格の時期は国主ではない) 家督時に四品(従四位下)侍従以上に叙任。部屋住の初官は従四位下以上で、五位叙任のない家。 参勤交代で参府・出府時、将軍に拝謁以前に上使として老中が大名邸に伝達にくる栄誉をもつ家。 石高での下限は確定できない。 とされるが、例外もある。 国主・国持大名のうち、山内家を除く松平姓の家と、鎌倉府および室町幕府の重臣であった上杉家・細川家は世嗣の殿上元服・賜諱(偏諱の授与)がある。また、武家官位として国持大名が自分の領国の国司を名乗るのは一種の特権とされており、通常の実体のない「~守」名乗りとは違うものとされていた。
※この「国主・国持大名の基準」の解説は、「国主」の解説の一部です。
「国主・国持大名の基準」を含む「国主」の記事については、「国主」の概要を参照ください。
- 国主・国持大名の基準のページへのリンク