めい‐すう【名数】
名数
名数
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相州・江乃島八景 天明7年(1787年)江の島近在の風流人12人が一日江の島に遊び、八景を選んで漢詩と和歌を添え上之宮へ奉じたもの。「岩屋之晴嵐」「江島寺晩鐘」「小児淵夜雨」「西浦之夕照」「東浦之帰帆」「金亀山秋月」「鵜島之落雁」「両山之暮雪」 江の島 日本百景 1927年制定 江の島稚児ヶ淵 かながわの景勝50選 1979年制定 江の島天王祭 かながわのまつり50選 1982年制定 江ノ島参道から片瀬州鼻通り かながわのまちなみ100選 1987年制定 江ノ島の森 かながわの美林50選 1988年制定 江の島大橋・江の島弁天橋 かながわの橋100選 1990年制定 江ノ島 かながわの探鳥地50選 1991年制定 江の島道の江の島・片瀬付近 かながわの古道50選 1993年制定 江の島サムエル・コッキング苑(ツバキ) かながわ花の名所100選 1994年制定 江の島 かながわ未来遺産100 2001年制定
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名数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 22:41 UTC 版)
いくつかの経書をまとめて前に数字をつけて「~経」と称することがある。もっとも基本的なのが六経もしくはそこから楽経を除いた五経である。また三礼と春秋三伝を含めた十三経も著名である。その他にも七経、九経なども分類があるが、七経・九経の指す経書の種類には諸説ある。代表的なものを挙げると以下のようになる。 六経・五経 - 『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』。戦国時代からのまとめられ方。五経と六経との呼称の差は『楽』が焚書によって早くに失われ漢代以降、五経の名がおもに使われ、学官に立てられたのも五経博士である。なお後漢以降、隆盛した古文学で六経の順序は『易』『書』『詩』『礼』『楽』『春秋』とされた。唐代には『五経正義』が作られ、ここで五経の内容は『周易』『尚書』『毛詩』『礼記』『春秋左氏伝』となった。 七経 - 後漢時代、孝が重視されるようになり、五経(『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』)に『論語』と『孝経』が加えられ、合わせて七経とされた。また六経に孝経を足したまとめ方もあり、この七経に対する緯書として七緯が作られた。また、日本における釈奠独自の儀式として、毎回七経を順次1つずつ講義を行う七経輪転講読があった。 九経 - 唐代の科挙試験において明経科があり、ここでは五経のうち礼経を三礼(『周礼』『儀礼』『礼記』)に、春秋経を三伝(『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』)に分け、他の三経と合わせて九経と称した。 十二経 - 唐の文宗大和年間(827年~835年)、石経を立てたが、その際に九経に加えて『孝経』『論語』『爾雅』が入れられた。 十三経 - 宋代、唐の十二経に『孟子』が加えられ、十三経となった。この時代、経書も木版印刷されるようになっていたが、経書と注釈書の注疏が合刻されるようになり、十三経の代表的な注釈書を集めた『十三経注疏』が刊行された。 四書 - 南宋の朱熹は『礼記』のうち大学篇と中庸篇を取り出して、それぞれ独立した書物とし、これと『論語』『孟子』を合わせて四書と称し、五経を学ぶ前段階として四書の学を提唱した。
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