国久系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 20:13 UTC 版)
神保慶久 – 国久の子とされる。一時期河内畠山氏の当主であった畠山満慶(満家の弟)より偏諱を賜ったとみられる。 神保国宗 – 慶久の子(または慶久を間に入れずに国久の子とも)。畠山持国より偏諱を賜う。持国の後継者を巡る争いでは、甥の畠山弥三郎(政久)を推したが、1454年に謀殺された。 神保長誠 – 国宗の子とされる。畠山弥三郎(政久)の弟・畠山政長に仕えて偏諱を賜い、その腹心として活躍。出家して昌宗と名乗る。 神保慶宗 – 長誠の子。畠山尚慶(のち尚順、尚長)より偏諱を賜うが、のちに尚長から独立の姿勢を見せて反乱し敗死。 神保慶明 – 慶宗の弟とされる。 神保長職 – 慶宗の子とされる。畠山尚長より偏諱を賜ったとみられる。 神保長住 – 長職の長男。 神保長城 – 長職の次男。(読みは「ながしろ」「ながくに」などと云う) 神保長国 – 長職の次男長城と同一人物、または、三男とされるが詳細は不明。 神保昌国 – 長職の法名、宗昌から長国が改名した者と見られるが詳細は不明。
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