尊皇攘夷とは? わかりやすく解説

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そんのう‐じょうい〔ソンワウジヤウイ〕【尊王××夷】

読み方:そんのうじょうい

中国で、周の王室尊敬し異民族中国侵犯打ち払ったこと。

(「尊皇攘夷」とも書く)日本江戸末期尊王論攘夷論とが結びついた政治思想朱子学系統を引く水戸学などに現れ下級武士中心に全国広まり王政復古倒幕思想に結びついていった勤王攘夷尊攘


尊皇攘夷

作者宮城賢秀

収載図書隠密目付疾る―一橋慶喜隠密
出版社光文社
刊行年月2002.11
シリーズ名光文社時代小説文庫


尊王攘夷

(尊皇攘夷 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 10:18 UTC 版)

尊王攘夷(そんのうじょうい、尊皇攘夷)とは、君主を尊び外敵を斥けようとする思想である。江戸時代末期(幕末)の水戸学国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンを指している[1]


  1. ^ 尾形勇『歴史学事典』【第7巻 戦争と外交】p447
  2. ^ 尾藤正英「水戸学の特質」、『日本思想大系53 水戸学』、岩波書店、1973年(昭和48年)、558 - 559頁。
  3. ^ 上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上物という意味であり、「上喜撰の茶を四杯飲んだだけだが(カフェインの作用により)夜眠れなくなる」という表向きの意味と、「わずか四杯(船を1杯、2杯とも数える)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し夜も眠れないでいる」という意味をかけて揶揄している。


「尊王攘夷」の続きの解説一覧

尊皇攘夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 07:13 UTC 版)

有馬新七」の記事における「尊皇攘夷」の解説

尊皇攘夷派志士達と多く交流して水戸藩とともに井伊直弼暗殺桜田門外の変)を謀ったが、自藩の同意得られなかったため手を引き結果的に水戸藩裏切る形となった万延元年1860年)に町田久成要請を受け、伊集院石谷村(後の鹿児島市石谷町)を統治することとなった。新七は石谷村治める間に、における刑法定め悪事を働くものに罰として石坂一部現存鹿児島市指定文化財)と呼ばれる道の建設にあたらせたり、郷士五人組制を実施するなどの指導行ったその後過激な尊皇攘夷活動続け同志と共に寺田屋集っていたところ、島津久光の「説得応じずば上意討ちやむなし」との命により鎮撫訪れた大山格之助薩摩藩士らによって粛清された(寺田屋騒動)。この際小刀折れて相手道島五郎兵衛の懐に入り壁に押し付けた状態で橋口吉之丞に「オイゴト刺セ、オイゴト刺セ」(俺ごと刺せ)として最期を遂げた享年38

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尊皇攘夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 14:01 UTC 版)

津田弘道」の記事における「尊皇攘夷」の解説

詳細は「尊王攘夷」を参照 文久3年1863年2月尊攘派推され第9代岡山藩主となった池田茂政は、水戸藩主徳川斉昭の九男で、一橋慶喜実弟にあたるため、勤皇佐幕折衷案の「尊王翼覇」の姿勢をとって立場明確にせず、慶応2年1866年12月慶喜第15代将軍になると一切の朝幕間周旋仕事から身を引いた慶応3年4月9日1867年5月12日国事周旋方・尊攘派弘道新庄厚信らと第二次征長軍に反対し、また藩主茂政に隠居迫って万成峠の矢坂台場から岡山城大砲の音を鳴らして威嚇する事件起こした備前勤皇党決起)。茂政より役目罷免蟄居謹慎を命ぜられたが、周旋軍事御用掛・牧野権六郎執りなし謹慎解かれた。

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尊皇攘夷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 13:41 UTC 版)

大楽源太郎」の記事における「尊皇攘夷」の解説

青年期太田稲香、僧月性広瀬淡窓らの門下学び勤皇思想身に付け、また久坂玄瑞らと知己となる。安政4年1857年)に師月性とともに上京し以後京都において梁川星巌梅田雲浜頼三樹三郎西郷吉之助らと交流深めるが、翌5年1858年)から始まった安政の大獄を受け急遽帰藩。幕府の手前もあり、藩命により蟄居を命ぜられる。その後脱藩し水戸に赴き、大老井伊直弼襲撃計画するが、未然発覚して再び禁固処せられる。 赦免の後、久坂高杉晋作らと協力して積極的に尊王攘夷運動推進元治元年1864年5月には大和国丹波市現在の天理市)において画家冷泉為恭暗殺同年起こった禁門の変においては書記として参陣。長州藩敗戦受けて再度山口へと逃れ慶応元年1865年高杉功山寺挙兵呼応して宮市忠憤隊を組織した。同2年1866年)には、故郷台道私塾敬神堂(別称西山書屋)を開設明治2年1869年)までに多く門人育てた(後の内閣総理大臣寺内正毅もここに学んだ一人である)。

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