津和野藩とは? わかりやすく解説

津和野藩

読み方:ツワノハン(tsuwanohan)

石見鹿足郡津和野藩名


津和野藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 03:01 UTC 版)

津和野藩(つわのはん)は、江戸時代石見国津和野(島根県鹿足郡津和野町)周辺を治めていた。藩庁は津和野城に置かれた。




「津和野藩」の続きの解説一覧

津和野藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:09 UTC 版)

江戸時代の日本の人口統計」の記事における「津和野藩」の解説

19世紀の津和野藩の人口構成について、旧津和野藩主亀井家第15代当主亀井茲建論文公表しており、士農工商割合を示すデータとしてしばしば引用される。 津和野藩の身分構成変遷身分地域職業文化2年1805年弘化2年1845年弘化3年1846年嘉永3年1850年嘉永4年1851年家中 5,464 5,164 5,200 5,296 5,296 津和野住居 5,078 4,859 4,902 5,021 5,012 江戸住居 272 211 198 174 179 大坂住居 22 19 24 25 25 廿日市住居 92 75 76 76 80 町方 2,540 1,923 1,949 2,048 2,038 在方 68,332 58,579 59,106 61,002 61,451 修験 22 22宗門修験家内 19 16 社人 144 142宗門社人家内 215 218 百姓 66,048 57,207 57,573 58,920 59,381 永明寺領虹ヶ谷村 102 93 91 96 91鍛冶屋 1,494 792 946 1,084 1,061 木地屋 83 24 25 0 10 穢多 590 461 469 502 506 番太郎 15 2 2 0 4 合計 76,336 65,668 66,257 68,346 68,785 男 39,763 34,512 36,00236,573 31,743 32,783典拠亀井茲建1932年)。)

※この「津和野藩」の解説は、「江戸時代の日本の人口統計」の解説の一部です。
「津和野藩」を含む「江戸時代の日本の人口統計」の記事については、「江戸時代の日本の人口統計」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「津和野藩」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「津和野藩」の関連用語

津和野藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



津和野藩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの津和野藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの江戸時代の日本の人口統計 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS