津和野藩
津和野藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:09 UTC 版)
「江戸時代の日本の人口統計」の記事における「津和野藩」の解説
19世紀の津和野藩の人口構成について、旧津和野藩主亀井家第15代当主の亀井茲建が論文に公表しており、士農工商の割合を示すデータとしてしばしば引用される。 津和野藩の身分構成の変遷身分・地域・職業文化2年(1805年)弘化2年(1845年)弘化3年(1846年)嘉永3年(1850年)嘉永4年(1851年)家中 5,464 5,164 5,200 5,296 5,296 津和野住居 5,078 4,859 4,902 5,021 5,012 江戸住居 272 211 198 174 179 大坂住居 22 19 24 25 25 廿日市住居 92 75 76 76 80 町方 2,540 1,923 1,949 2,048 2,038 在方 68,332 58,579 59,106 61,002 61,451 修験 22 22 寺宗門修験家内 19 16 社人 144 142 寺宗門社人家内 215 218 百姓 66,048 57,207 57,573 58,920 59,381 永明寺領虹ヶ谷村 102 93 91 96 91 鑢鍛冶屋 1,494 792 946 1,084 1,061 木地屋 83 24 25 0 10 穢多 590 461 469 502 506 番太郎 15 2 2 0 4 合計 76,336 65,668 66,257 68,346 68,785 男 39,763 34,512 36,002 女 36,573 31,743 32,783 (典拠は亀井茲建 (1932年)。)
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