松前藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 17:44 UTC 版)
松前藩(まつまえはん)は、松前島(夷島)松前(渡島国津軽郡を経て現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く。居城の名から福山藩とも呼ばれる。慶応4年(1872年)、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。
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- ^ 海保嶺夫『幕藩制国家と北海道』(三一書房、1978年)14-15頁。
- ^ 海保嶺夫『エゾの歴史』(講談社、1996年)ISBN 4062580691
- ^ a b c 北海道庁拓殖部『北海道地方林業一班』(1926年)18頁~23頁
- ^ 確かにロシア船の来航は頻繁であり、国防上の問題があったが、一説には密貿易との関係が原因に挙げられている。また、当時の記録には道広が藩主時代に吉原の遊女を囲ったとする風聞に関する記事が出ており、前藩主時代の放蕩に対する処罰説もある。また、当時の幕閣主流に反発する勢力との交流が深く、これも要因として推測される。その他、元家臣による讒言説など。
- ^ 『松前町史』資料編第一巻、「北門史綱」
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