伊予松山藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 03:31 UTC 版)
伊予松山藩(いよまつやまはん)は、江戸時代、伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市)を中心に久米郡・野間郡・伊予郡などを知行した藩。藩庁は松山城。
注釈
- ^ 表番、下足番、使番など、徒士と足軽・中間との間の階級。
出典
- ^ 『藩史物語2』(講談社、2010年)49ページ
- ^ 『徳川実紀より』より「常憲院殿御実紀」
- ^ 久松松平家文書「波賀清太夫覚書」。同書は介錯人本人の手になるもの。
- ^ 「松山叢談」五
- ^ 同「本藩譜」(愛媛県立図書館)
- ^ 青木虹児『百姓一揆の年次的研究』
- ^ 田辺南龍『松山騒動八百八狸物語』など
- ^ 『愛媛県史 近世 上』(昭和61年1月31日発行)「資近上二-9」
- ^ 『藩史物語2』65ページ(同)
- ^ 末延芳晴 「従軍記者正岡子規」-55- 愛媛新聞 2010年12月5日
- ^ 水谷憲二『戊辰戦争と「朝敵」藩-敗者の維新史-』(八木書店、2011年)P390-394・167-175
- ^ 『土芥寇讎記』第十二巻
[続きの解説]
「伊予松山藩」の続きの解説一覧
- 1 伊予松山藩とは
- 2 伊予松山藩の概要
- 3 歴代藩主
- 4 脚注
固有名詞の分類
- 伊予松山藩のページへのリンク